理想と現実って一体。
『午前十時の映画祭11~イージー★ライダー編~』
デニス・ホッパーが監督・脚本・主演、ピーター・フォンダが製作・脚本・主演を務め、アメリカン・ニューシネマを象徴する金字塔的作品として映画史にその名を残す傑作ロードムービー。
自由と平和を求めてアメリカ横断の旅に出た2人の青年が、アメリカ南部で偏見・恐怖・憎しみに直面する姿を描く。
低予算ながら世界的ヒットを記録し、インディペンデント映画をハリウッドメジャーが配給した最初の成功例として、それまでの映画会社主導による映画製作システムを覆した。
1960年代、アメリカ。ドラッグ密輸で大金を手にしたワイアットとビリーは、ハーレーダビッドソンにまたがって旅に出る。ロサンゼルスから謝肉祭の行われるニューオーリンズを目指す2人は、農家で食事をご馳走になったり、ヒッピーのコミューンに滞在したりと気ままな旅を続けるが……。1969年・第22回カンヌ国際映画祭で新人監督賞を受賞。日本では70年1月に劇場初公開。2020年2月、公開50周年を記念してリバイバル上映。
やっぱりこういった過去作を映画館で観れるのは良いですね。
今回は町山さんの解説もあったのでそれと合わせて観ることでの、色々な気付きもあったような気がします。
本作ですが、勝手なイメージとして持っていたのは『とにかく自由を謳歌する』というもの。単純にポップな放浪ものといったカルチャームービーだと思っていました。それが大きく覆されたというか、それもあるけどその一方でと言いますか、切なさともどかしさと。
冒頭といい、その後のストーリーといい、とにかく物語はあってないようなもの。今でこそ日常系とかロードムービーと言われるジャンルも当たり前にありますが、当時にそういった作品があったのも新鮮に感じます。
中でも終盤のLSDによる幻覚シーンは本当にアヴァンギャルドの一言。デニスホッパーらしいと言えばそうですが、本気でトリップしている感じがするほど印象深い。
楽曲の使い方も雰囲気とマッチしてますし、とにかくカッコいい。サントラムービーとしての様相も当時としては珍しいんじゃないでしょうか。当時の雰囲気も感じられますし、当時の若者が憧れる部分みたいなものも非常に良くわかる。
規制や偏見も多かった中でのカウンターカルチャー隆盛期、今以上にパワフルだったと感じるものの中にも、難しい問題や逆境があったのかと思うと本当に感慨深いです。
今では趣味の一環として、カルチャーと一括りに呼びがちですが、本作を観てカルチャーというのは少数派による、阻害されるものから生まれるのかなと思ったり。大衆にまで浸透してくるとそれはカルチャーというよりもむしろ娯楽になるわけで、あくまでもカルチャーというのはそういった少数派の文化なのかと。まあ単純にカルチャーと言って一般に浸透しているものを語ってても語りがいも無いし、そこまで熱くもなれない気がするというのもある気がします。
作品自体のテーマ性や革新性も今観てもエッジが効いてますし、ラストの衝撃も中々のもの。
中盤から後半にかけての展開も、今観ても思うところがあるなと思わされます。「自由を語ることや主張することは称賛されるが、その自由を行うものには偏見や妬みがつきまとう」といったセリフも、自分たちが心のどこかで思う羨ましさ、それを行えないことが暴力や差別といった形で出てくるというのはいつの時代も同じことで、本当にくだらない妬みだと思う。
「人の死は棺桶に入った後で決まる」というのも、的を経ているようで本質は違うだろと思うところにもモヤモヤするし、そういった感情が鬱積したうえでのあのラストはやるせない人間の嫌な部分を見せられた気がして愕然としました。
時代が変わっても変わらないものと、変わったことも垣間見え、こういう機会は貴重な体験になるなと改めて思わされたところでした。