何をするにも金、金、金。
『ノマドランド』
「スリー・ビルボード」のオスカー女優フランシス・マクドーマンドが主演を務め、アメリカ西部の路上に暮らす車上生活者たちの生き様を、大自然の映像美とともに描いたロードムービー。
ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」を原作に、「ザ・ライダー」で高く評価された新鋭クロエ・ジャオ監督がメガホンをとった。
ネバダ州の企業城下町で暮らす60代の女性ファーンは、リーマンショックによる企業倒産の影響で、長年住み慣れた家を失ってしまう。キャンピングカーに全てを詰め込んだ彼女は、“現代のノマド(遊牧民)”として、過酷な季節労働の現場を渡り歩きながら車上生活を送ることに。
毎日を懸命に乗り越えながら、行く先々で出会うノマドたちと心の交流を重ね、誇りを持って自由を生きる彼女の旅は続いていく。
2020年・第77回ベネチア国際映画祭で最高賞にあたる金獅子賞、第45回トロント国際映画祭でも最高賞の観客賞を受賞するなど高い評価を獲得。
第78回ゴールデングローブ賞でも作品賞や監督賞を受賞。第93回アカデミー賞で作品、監督、主演女優など6部門でノミネートされる
前作、『ザ・ライダー』は世界観が最高に好みだった為観てきました。
劇場予告で何度か観ていたんですがその壮大な自然美とテーマ性はさすがクロエジャオ作品でした。
ノマドと聞くとカフェで仕事をするイメージであったり、遊牧民的なイメージであったりと、現実的というよりは自由に生きる理想像的な感じとして捉えがちな気がする昨今。
ある意味で現実的、ドキュメンタリータッチで描かれた本作は本当に色々な意味で感慨深い作品でした。
土地の雄大さや自由さは然ることながら、それ以上に『生きる』ということの無常さや目的、人との繋がりなんかがひしひしと伝わってきて、ノマドとはフィジカル的な遊牧という意味以上に、心の揺れや漂うことなのではないかとすら思わされます。
その表現としての手持ちカメラ描写なんかはまさにそうで、画面が揺れ、出ている登場人物の感情が揺れ、観ている観客も揺さぶられる。
不動のものとしてそこになるのは自然のみで、トイレシーンや寝る時の寒さなどといった自然の現実を観た時に人間のちっぽけさを感じた。
作中で印象的だったセリフがいくつかあって、まず主人公が姉から言われる「他の人より勇敢で正直だっただけ」というもの。
ノマド生活をやめ、定住生活を勧めた中でのセリフだったんですが、それを聞いた時、資本主義の現実と個々人が感じる感情の差によるやるせなさを感じずにはいられなかった。
主人公は夫を失い、全て亡くなった中でのノマド生活を選択していた。それは心の放浪であって心が落ち着けば定住も出来るはず。でもそれ以上に他者から理解されない想いがあったからこそその選択が出来なかったはずで、その表情から訴えてくる葛藤をまざまざと感じてしまった。
そしてもう一つが「さよならは言わない」というもの。これはあるノマドの方がモノローグで述べていたセリフ。
ノマド生活をしていればまたどこかで会えるだろうし、またどこかで会いましょうという希望的観測も含めてさよならは言わないということ。
これもポジティブに捉えればそういうことなんだろうけど、結局のところノマドをしている以上孤独であり、自己責任ということ。生きることの協調性を問うているようでいて、個々の虚無を誰かが埋めることができないという現実を突き付けられている気がした。
その現実という意味で言えば、なんといっても生きる為には金が要るということを実感させられた。
綺麗事や理想論一切抜きにして、何をしていてもどこにいても絶対にお金がかかる。今の時代お金を一切使わずに生きていくことは根本的に出来ないんだなということを改めて再確認した。
人の営みが、生きていく為でなく贅沢をするためにしているんじゃないかという錯覚を感じるシーンも多々あって、アマゾンでの膨大な商品を仕分けるところや、食事のシーン、ファストフードでのシーン。一見すると生きる為にしているようなことが現在においては取ってつけたいいわけのようにすら思えてしまう。
とにかく本作は今の現実と自然の雄大さ、そのギリギリのバランスの中で構成されているドキュメンタリーチックな作品であり、今の時代に向き合うには必要な時間だと思った。
ラストシーンでの前方に進んでいく車を引きで撮るショットから、それでも生きていく感が半端なく、自分自身にも問われているような気がして感慨深かった。
コロナ禍において生きるということ、自分と向き合うということは切り離せない自分のテーマなのかもしれない。そんなことを感じたりもした作品だった。