見えているものが本当に見えているのか。
『12モンキーズ』
「未来世紀ブラジル」の鬼才テリー・ギリアムがブルース・ウィリス主演で描いたSFサスペンス。
謎のウィルスによって人類のほとんどが死滅した近未来。
生き残った人々は汚染された地上を捨て、地下での生活を余儀なくされていた。
科学者たちは1996年にウイルスをばら撒いたとされる集団「12モンキーズ」について探るため、服役中の囚人ジェームズ・コールを過去の世界へと送り込む。
誤って1990年にたどり着いたコールは不審な言動から逮捕され、精神科医キャサリンの立ち会いのもと精神病院に収容される。
そこでジェフリーという若い患者に出会い、彼の助けを借りて脱出を図るが……。
共演に、本作でアカデミー助演男優賞にノミネートされたブラッド・ピット、「ラスト・オブ・モヒカン」のマデリーン・ストウ。「ブレードランナー」のデビッド・ピープルズが妻ジャネットと共に脚本を手がけた。
観ていて本当に色々とわかるようでわからなくなる映画でした。
テリーギリアム作品に共通しているのが『夢と現実の曖昧さ』だと思うんですが、本作もそれはあって、とにかく場面や展開によって思考が揺さぶられる。
自分が考えていたことが真実なのか、それともそう思わされていたのか、見えていたものが真実なのか、それとも見えていなかっただけなのか。
とにかく観るタイミング、自分の精神状態、時間などの様々な要因が絡み合って自分なりの認識をしているということに気付かされます。
それと同時に、人の認識ってこうも定かでは無いのかと思わされるところが本作の面白いところではないでしょうか。
そう考えると日常の見え方も、自分の認識の仕方も変わってきてしまう気がして、その皮肉さもギリアムらしい気がします。
SFのはずなのに現代と通じているところも面白くて、むしろいつが今なのか。映画内の現在地すらわからなくなるところも面白い構成じゃないでしょうか。
こういった感じで過去、現在、未来が交錯し、その美術や風景も交錯してしまった時、SFという縦割りの認識が出来なくなる。そういう近未来的な既視感のズレみたいなところが非常に興味深かったです。
『ゼロの未来』に始まった一人ギリアム祭りですが、とりあえず一気に気になる作品を見直したいと思います。