感情の過度な重なりは無感情を生む
『花束みたいな恋をした』
「東京ラブストーリー」「最高の離婚」「カルテット」など数々のヒットドラマを手がけてきた坂元裕二のオリジナル脚本を菅田将暉と有村架純の主演で映画化。
坂元脚本のドラマ「カルテット」の演出も手がけた、「罪の声」「映画 ビリギャル」の土井裕泰監督のメガホンにより、偶然な出会いからはじまった恋の5年間の行方が描かれる。
東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った大学生の山音麦と八谷絹。好きな音楽や映画がほとんど同じだったことから、恋に落ちた麦と絹は、大学卒業後フリーターをしながら同棲をスタートさせる。
日常でどんなことが起こっても、日々の現状維持を目標に2人は就職活動を続けるが……。
坂元裕二脚本作品、それも映画は初の脚本とあって、公開前からかなり気になっていました。
ドラマのイメージはとにかく『会話の人』、シュールなんだけど、どこか芯を捉えていて、観終わった後に残るものがある。
そんな彼が映画というフォーマットの中でどういったものを作るのかと思っていたんですが、予想以上でした。
「日記のような作品にしたかった」と語っており、それぞれの状況が度々モノローグで語られるんですが、それがまた良い。
ドラマ的なカットバックやサウンドトラックと相まってエモーショナルさにドライブがかけられていく。順撮りで撮られたというのも非常に大きい気がしていて、主演二人の雰囲気も自然に映っている。
出会いのシーンもかなり刺さる感じで、好きなものから共感を呼び、感覚的に無意識に惹かれあう。これが終盤に相反する形で関わってくるんですが、それもまたあるよなと思わせる絶妙な加減。
付き合うたびに感じる、『恋人と好きなものは同じ方が良いのか』という問題、誰でも一度は考えるところに自然と切り込むところも坂元脚本ならでは。
わかるわかると思っていたことが、ちょっとしたズレから分かり合えなくなってきた時、その現実とどう向き合うのか。
途中出てくるブログの作者が言っていた「始まりは終わりの始まりという」ことや現状維持の認識違い、21歳から26歳というある意味、子供の終わりから大人になる段階だからこそぶつかる葛藤が良く描かれていると思う。
舞台設定も2015年から2020年と現代に重なるところも肝で、ラストに絹のモノローグで語られるパン屋のくだりはコロナ禍にあって加筆されたものらしいが、それがまた彼らの日常により親近感をもたらしている気がする。
出会いの時の『それわかる』という重なりは時を経て重なりを増し、それ故に少しのズレがクローズアップされてしまう。
全てじゃなくて一部が重なるからこそ恋愛は愛おしいのか。初期衝動にも似た恋愛の高揚感こそがその時にしか持ちえないものなのか。もしかしたら成熟というのは単純に善とは言えないのかもしれないと思いつつも恋愛という行為自体は常にすべきなんじゃないかと思わされました。
とにかくドラマ以上にドラマチック。菅田将暉と有村架純だからこそ完成した素晴らしい恋愛ムービーだと思います。
改めて坂元脚本ドラマを観返してみようかと思います。