日本的会話劇の冥利。
『秋刀魚の味』
老人の孤独を浮き彫りにした、巨匠・小津安二郎の遺作。
平山は妻に先立たれ、家事一切を娘の路子に頼っていた。同窓会に出席した平山は、酩酊した恩師を送っていく。そこで会ったのは、やもめの父の世話に追われ、婚期を逃がした恩師の娘。平山は路子の縁談を真剣に考えるようになる・・・・・・。
結婚を巡る父と娘の関係という小津映画定番のテーマを柱に、老いてゆく者の孤独を際立たせている。
本作の構想を練っていた1962年2月に最愛の母を失った小津監督の、老いることへの悲しみがここに投影されている。
何となく日本ぽいものが観たくなり、今まで観てこなかった小津作品をこの機会にと。
とりあえずとっつきやすいであろうカラー作品である本作をチョイスしたんですが、さすがの巨匠。世界観が素晴らしく、今の気分にかなりハマりました。
冒頭から気になったのが構図とセリフ回しの絶妙なテンポ感でした。構図に関してもフィックスしたカメラでそれこそ写実的に捉える感じが最高。あれがモノクロだったらと思うと植田正治やアンリカルティエブレッソンを彷彿とさせるような緻密で、繊細な世界観だなと思いました。
とにかく画面の隅々までこだわっていることを感じさせ、各ショットが美しく静的な描写はそれだけで一見の価値ありといったところ。
ただそれ以上に衝撃を受けたのが、作中での会話劇。
完全に不自然に見えるような言い回しやセリフ。それが妙に印象的で、違和感を感じる。それなのにそのことが逆に情緒みたいなものを演出し、全体のテンポに独特なリズムと雰囲気を醸し出している気がした。
会話劇そのものの面白さやそれに引き込まれる感覚はタランティーノ監督作品に通じるものがある(小津作品の方が先なのは重々承知ですが)し、日本語なだけに、すんなり入ってくる心地良さやユーモアがある気がした。
現代と異なる生活様式や慣習など、日本の原風景的なものを見る懐かしさや今に失われてしまった、人のつながりのようなものが垣間見えて、ほっこりとさせられるところも魅力なのかもしれない。
そうした中での家族や父親、一個人としての在り方、みたいなものは参考になったし、心打たれる部分があった。
こんな時代だからこそ、孤独について、死について、人のつながりについて考えてみるのもいいのかもしれない。
とにかく、色々なことを抜きにしても、小津作品のもつ美しさ、空気感、そういった動的な中にある静的な美を見るだけでも価値ある体験だと思う。
これを機に、他の小津作品も見てみたいと思う。