やるせなさと共に、自分の人生を問われている気がした
「存在のない子供たち」
長編デビュー作「キャラメル」が高い評価を得たレバノンの女性監督ナディーン・ラバキーが、貧しさゆえに親からまともな愛情も受けることができずに生きる12歳の少年の目線を通し、中東の貧困・移民問題を抉り出した人間ドラマ。
中東の貧民窟で暮らす12歳のゼインは、貧しい両親が出生届を提出していないため、IDを持っていない。ある日、ゼインが仲良くしていた妹が、知り合いの年上の男性と強制的に結婚させられてしまい、それに反発したゼインは家を飛び出す。仕事を探そうとしたがIDを持っていないため職に就くことができない彼は、沿岸部のある町でエチオピア移民の女性と知り合い、彼女の赤ん坊を世話しながら一緒に暮らすことになる。しかしその後、再び家に戻ったゼインは、強制結婚させられた妹が亡くなったことを知り……。
2018年・第71回カンヌ国際映画祭で審査員賞とエキュメニカル審査員賞を受賞。
冒頭からショッキングなスタート。
それこそホラーやサスペンスといった類のそれではなく、実際にそういう現実があるのかという怖さでした。
ストーリー自体も直接的な怖さ以上に、じわじわと浸食してくる、それでいてどうにもならない不条理さに押しつぶされそうになる感覚があるもの。
観ているだけでそう感じるのに、本作の主人公であるゼインは一人立ち向かい、自分の考えを行動で示していく。
わずか12歳の少年が行う行動として、考える問題としては大き過ぎるはず。それなのにブレない軸を持ち、文字通り「生きる」ということを体現していく姿に本当に心打たれます。
今自分が抱えている問題であるとか、悩みなどは些細なことでしかないということを思い知らされ、頭がくらくらします。
同時に自分は何を考え、どう生きるのか。偽善的に語られる美談なんてものは何の役にも立たないし、自分自身すら偽ることになるという事実に気付くべきだと改めて思わされた。
とにかく自分の意思、軸を持ち貫くことの重要性、悪い意味での共感や同調といったものに飲まれる弱さを持ちたくないと強く思った。
それにしても主演のゼインは見事な演技でした。
実際のストリートチルドレンから選ばれたようですが、あの年でここまでの表現が出来るのが恐ろしく思います。
実体験に基づく部分があるからこそできる表現なのかもしれませんが、それ以上に受けるエモーショナルな部分に心臓を抉られました。
眼差しによる表現、圧倒的意思を持った発言、振舞い。どれもこれも人としての大きさを感じずにはいられませんでした。逆にこれほどのことが出来る大人がどれだけいるのかとすら思わされるほど。
映画的な表現に関しても見事な作品で、荒々しく生々しいカットの撮り方であったり、ゼイン達が住んでいる場所の空撮による俯瞰ショット。これらが実にリアリティを突き付けてくる。
遊園地や食べ物といった子供が喜ぶような場所や物でさえも、カラーやトーンを押さえられており、そういったプラスの要素を全く感じさせない画作り。
とにかく奇をてらった演出なども無く、ただ存在する現実を丁寧に、それでいて的確につないでいくところに重々しくも大切なモノが詰まっていた気がします。
出てくる人々、国、環境、境遇。どれが良くて、どれが悪かったのか。本当に難しい話だけれでも考えることから目を背けることが許されない現実を突き付けられた気がします。
存在しない子供たちというタイトルながら、確かに存在しそこにある現実を噛み締めたいと思います。