バトルシーンとキャラは相変わらず
鳥山明原作の大人気アニメ「ドラゴンボール」シリーズの劇場版20作目となる記念作品で、2015~18年に放送されたテレビアニメ「ドラゴンボール超(スーパー)」を映画化。
15年の劇場版「ドラゴンボールZ 復活の『F』」同様に、鳥山が自ら原作・脚本・キャラクターデザインを担当した。「力の大会」が終わり、宇宙にはまだまだ見たことのない強者がいることを知った悟空は、さらなる高みを目指して修行に明け暮れていた。そんなある日、悟空とベジータの前に、見たことがないサイヤ人のブロリーが現れる。地獄から再び舞い戻ったフリーザを巻き込み、悟空、ベジータ、ブロリーという3人のサイヤ人の壮絶な戦いが始まる。
相当久しぶりに映画館でドラゴンボールを観た気がします。それなのに全く久しぶり感が無かったのは圧倒的なキャラ力によるところでしょうか。
本作で出てくるブロリーと言えば、以前にもOVAで登場したメチャ強いサイヤ人。
今回もその辺の設定は変わっていないものの、力のインフレが止まらな過ぎです。
バトルシーンなんかは相変わらずテンション上がりますし、キャラにも気持ちが入ります。なのにやっぱり少し違う感が出てる気がするんですよね。
漫画やアニメで観ていた当時は成長の遅さも含めてドラゴンボールだったし、金髪が最強という圧倒的存在感があって30分気を貯めて終了とか、ただトレーニングするだけといった一見無駄に見えるけどそれがあるから記憶に残る的な場面が多かった気がします。それが最近の作品はインフレし過ぎでキャラの物語性が希薄になっている気がして。この辺はドラゴンボールに限った話ではないですが。
これって現代を象徴している気がしていて、情報の速さ、進歩の速さが力のインフレに直結していて、「もっともっと」という感じがしっくりこない気がしちゃいます。本作一つとっても、このストーリーの中でどれだけ成長するんだよという感じです。
さらに言うとブロリーと悟空、ベジータの対比も現代と過去の対立のように感じます。今のような抑圧されて生み出されるモンスターのようなもの、変な犯罪者とかモンスターペアレントとか、それに対して物事の本質を見据えてあくまで楽観的に、色々な価値観を許容する2人。
今の時代は変な抑圧や情報が氾濫しているせいで、自分で考えて行動するということが少なくなっていて、何かに頼るのが当たり前になっている。そういったことを象徴している気がして、やっぱり悟空とベジータは良いやつだなと思ったり。
アニメなんて楽しければいいと思うけど、やっぱり今公開されているだけにそういったところがどうしても気になってしまいまして。
とはいえ、バトルシーンの音、映像演出、キャラ、これらを観るために足を運ぶ価値がドラゴンボールにはあるように思いました。
やっぱり最高だよ。
そしてブロリーフィギュア欲しい。