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『アーセナルvsブレントフォード』なぜエゼは消えたのか?迫るシティ、試される首位の器

『アーセナルvsブレントフォード』アーセナルがブレントフォードと引き分けた後、アルテタ監督と選手たちは驚くべき声明を発表した。

14ギョケ良いコース選択
16ライスは良い持ち出しするよな

55サーモンのビタ止めトラップマジ気持ちいい
58ライス強えなぁ
68よく当てたわビッグガブ
90ライス相変わらず走る

迫るシティ、逃げれるかアーセナル。

ここ最近4位から7までが大混戦な中、そこに陣取るブレントフォード。

ここまで厳しい試合になるとは思いませんでした。

スタメンから。

久々のエゼスタメン入り、そしてサリバは体調不良で欠場。

序盤から押し込めはするものの、中々チャンスを作れず。

ビッグチャンスクリエイト1ですからね。前後半で。

そこに拍車をかけるかの如く、ブレントフォードの無尽蔵のスタミナによる追い打ち。正直後半どこかでエネルギー切れになるかと思ったのですが、期待が甘かった。

逆にエゼがほとんど機能せず、ドリブル成功はおろかタッチ数も17とチーム内でもダントツで低い。

このエゼ絡めない問題は何がネックなんでしょうね。昨年の良い時期は全然普通に機能していたんですけどね。

直近で良く見えたのはハヴァさんとコンビを組んだCLカイラト戦。

ハヴァさんとのコンビがもう少し見たいんですけどね。また軽い怪我のようで、復帰したら是非お願いしたい。

ということで後半に入りキャプテンウーデの投入。

そこからは打って変わって、潤滑油のようにボールが回る。

ただCK時の負傷後は何故か停滞し・・・。

モスケラも悪くはなかったですが、サリバほどの安心感は出せず、ラヤも珍しく少々軽率なプレーも。

躍動していたのは変わらぬライスとビッグガブ。

ライスはとにかくボールの持ち出しが上手い。ストライドの広い走行も相まって、ダイナミックで見ていて気持ちいい。

この試合でも何度も良質なキャリーが見られ、守備時の勇猛な戻りも迫力がありましたね。

ビッグガブも迫力と気迫という意味では間違いないわけで、守備アクションもダントツ。

迫力のあるプレーが多く見られました。

特にボックス内での気迫しか無いヘッドでのクリアはさすがの一言でしたね。

ビッグガブらしい熱量の籠もったクリア、お見事。

インカピエも守備能力を考えると左SBでの起用は納得ですし、マドゥエケも縦突破はあまり出来ずでしたが、キレのあるドリブルと翻弄はさすが。サーモンも変わらぬボールコントロールは惚れ惚れ。

ただ、勝ちたかった。

シティとの価値点差は4ですか。

逃げ切れるのか否か。

個人的にはカラバオ決勝がキーになるのでは無いかと思っております。

余談ですが、ブレントフォードのホームスタジアムはコンパクトながら、『ヘイ・ジュード』が流れた試合前の雰囲気はヤバかったですね。

相性の良さと空気感が。ああいう空気感が欲しい。

では。

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『ヒトラーのための虐殺会議』と“悪の凡庸さ”の正体

『ヒトラーのための虐殺会議』

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第2次世界大戦時、ナチス政権が1100万人のユダヤ人絶滅政策を決定した「バンゼー会議」の全貌を、アドルフ・アイヒマンが記録した議事録に基づいて映画化。

1942年1月20日正午、ベルリンのバンゼー湖畔に建つ大邸宅にナチス親衛隊と各事務次官が集められ、「ユダヤ人問題の最終的解決」を議題とする会議が開かれた。「最終的解決」はヨーロッパにいるユダヤ人を計画的に抹殺することを意味する。国家保安部代表ラインハルト・ハイドリヒを議長とする高官15名と秘書1名により、移送、強制収容、強制労働、計画的殺害などの方策が異論すら出ることなく淡々と議決され、1100万人ものユダヤ人の運命がたったの90分で決定づけられた。

出席者たちがユダヤ人問題と大量虐殺についてまるでビジネスのように話し合う異様な光景を、ありのままに描き出す。

色彩の濃密さと比例するかの如く重々しい会議。それでいて中身を鑑みれば見えてくる軽妙で軽薄な会話。

人が人を裁くということ、裁判や法律であってもその疑問が薄っすらと見え隠れする中、こうした会議や一国が全てを決めるということに疑問を抱かずにはいられない。

戦争や虐殺の背景にはこうした偏った思考から端を発し、転がるように展開していくのかと改めて思わされるわけですが、同調圧力なのか恐怖なのかそうした人々を突き動かす原理的なるものの力をしみじみと感じる。

この映画の面白いところが”一見すると普通の会議が展開されているように映っている”というところではないでしょうか。

しかしその実、ユダヤ人の迫害に関する内容があたかも何かの問題を解決するかのように淡々と処理され、議論されている怖さにある。

通常の一案件を処理するように人の生き死にを決める。

なぜ彼らにそこまでの権利があるのか。

そもそもユダヤ人を淘汰する明確な理由が存在しているのか。

対個人による対立や恨みというものはあったとして、国家として権力を用い抹殺するというのは集団的ないじめとなんら変わらないように思える。

映画としては序盤の人物紹介がさらりと成され、当時の人間関係がある程度わかっている人であれば理解も出来るようなスッキリとした構成。

ですが、このドイツ人の人名というのは聞き馴染み無い人からすると初見で理解するのは非常に難しいところがあるんですよね。

装いや髪型、雰囲気などもそうで、軍人や役人といった堅物ならではの正装も相まり、同じような人物に映る。

しかし、観ているうちに徐々に人物の関係性、発言、振る舞いなどから紐解ける部分もあり、その構図が見えるといっそう面白さが滲み出てくる。

作中の会議における、休憩があるのですが、その休憩もまさにこちらの休憩と呼応するかのような抜群のタイミング。

張り詰めた案件、それでいて軽妙な内容、会話によるやり取りがメインの動力源となり、一言一句聞き逃せない。

まして聞いたことないワードやフレーズも多く、会話から状況を組み立てるには難しいところが多い。

なので最小限の知っておくと良い情報として

① ヴァンゼー会議とは何か

  • 1942年1月20日、ベルリン郊外ヴァンゼーで開かれたナチス高官の会議

  • 目的は、いわゆる**「ユダヤ人問題の最終的解決」=組織的・工業的な大量虐殺の実務的調整

  • ここで「虐殺を始める」ことが決まったというより、
    →すでに進行していた殺戮を、官僚的に最適化する会議


② 会議参加者の正体

  • 参加者は15名ほど

  • 軍人よりも多いのは、官僚・法律家・省庁幹部

  • 重要なのは
    →「狂信者」ではなく「優秀なエリート官僚」が集まっているという点

→ この映画の恐怖は、暴力描写ではなく
理性・合理性・事務処理の言葉で虐殺が語られること


③ 言葉のトリック(最重要)

会議では直接的な言葉はほぼ使われません。

実際の意味 会議で使われる言葉
殺害 「特別処理」
強制労働での死 「労働による自然減」
絶滅 「最終的解決」

→言葉が現実を隠蔽し、罪悪感を消す装置として機能している


④ 主役はアイヒマン

  • 会議の実務を仕切るのはアドルフ・アイヒマン

  • 自分を「命令を整理する係」と認識

  • のちに裁判で

    「私は歯車にすぎなかった」

  • ここから生まれた概念が
    ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」


⑤ この映画の観方のコツ

  • 感情移入しない(させない作り)

  • 誰が「一番残酷か」ではなく
    👉 誰が一番“効率”を気にしているかを見る

  • 沈黙、言い換え、笑顔の裏にあるものに注目


⑥ 知っておくと刺さる視点

  • この会議は議事録が実在している
    → 映画のセリフの多くは史料ベース

  • 「反対者」はいない
    → 議論は方法論のみ

  • だからこれは
    ナチスの狂気の物語ではなく、近代官僚制の物語

この作品を通して一番気になったのが”効率の追求”という視点。

昨今の社会にも通じるタイパ、コスパ的なる効率性とも通じるところがあり、本当に効率を求めることは生存上の必要条件なのかと疑念を抱かされる。

営みとしての多様性、個別性というのが重要であり、生物の生存環境として、単一の個体が優秀だとして、その個体だけで集合体を繁栄させることなど無いのではないか。

実際、どの国を見回しても、様々な人種や考え、異なる人々が集合することで成り立っているわけで、それは誰しも薄々感じているのに、どうしても無能や無益な人の必要価値を単一的な視点から低く見積もってしまいがちになるところがある。

会議同様、サクッと終わる終幕も含め、逆に怖さが募る演出の冥利。

まるで工場作業を見ているかのような疑似的効率性を描いた、ナチスの実情であり、政治、社会の実情を見出す中、本作の本質があるように思えてならない。

果たして効率の追求はいかがなものなのか。自身にも問いたいところではある。

では。

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劇場では見えなかった真価──『閃光のハサウェイ』暗がり戦闘が傑作な理由

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』

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「機動戦士ガンダム」の富野由悠季監督が1989~90年にかけて全3巻で出版した小説「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」をアニメーション映画化した3部作の第1部。

アムロ・レイとシャア・アズナブルの最後の決戦を描いた映画「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」から12年後の宇宙世紀105年(U.C.0105)を舞台に、かつてアムロとシャアの戦いを見届けたハサウェイ・ノアが、腐敗した地球連邦政府に反旗を翻す姿を描く。

「シャアの反乱」と呼ばれた第2次ネオ・ジオン戦争から12年。世界は変わらず混乱状態にあり、地球連邦政府は強制的に民間人を宇宙に連行する非人道的な「人狩り」を行っていた。そうした地球圏の腐敗した現状に、マフティー・ナビーユ・エリンと名乗る人物が率いる反連邦組織「マフティー」が立ち上がった。マフティーの正体は、かつて一年戦争にも参加した地球連邦軍士官ブライト・ノアの息子ハサウェイ・ノアだったが、そんな彼の運命は、謎の少女ギギと連邦軍大佐ケネスとの出会いによって大きく変化していく。監督は「虐殺器官」の村瀬修功が務めた。

今の方がグッとくる。なぜだ。

公開当時に劇場で観た時はそこまで良かったという印象が無く、それでも1年戦争ど真ん中という、正史と聞けばそれは観ざるを得ない。

疲れもあったのか、暗過ぎて見えないということもあったのか、とにかく大人びたルックな印象の作画。サンダーボルト的、大人向けという認識止まりだったのが当時の率直な感想でした。

それが新作公開もあってか、久々に観返したところ状況は一変。

メチャクチャ面白いじゃないですか。

画作りの繊細さ、暗がりでも深度の深さを生かしたような濃密な戦闘。セル画とCGを程よく組み合わせ、作画の綺麗さも映えるような馴染みの良さ。

実写映画っぽいロケーション設計というのもあり、画のメリハリが引き立つ。

宇宙世紀であるにもかかわらず、どことなく現代SFのようなクリーンなトーン、なだらかな色彩バランスがあり、それが静寂さを際立たせて、戦闘シーンとの対比による描写がいっそうの温度感を伴わせる。

まず冒頭数十分からして秀逸。

政治スリラーめいやオープニングに緊張感のある展開。人物たちの状況や設定を説明するような意味合いもあり、導入としての惹き込み要素が詰まっている。

どこかで見たよなという構図として思い浮かぶのかクリストファー・ノーランによる「ダークナイト」でしょうか。

序盤の緩慢な空気感と、ゴージャスな雰囲気を切り裂く突然の悪意襲来。これはダークナイトにおける、ジョーカー登場シーンと重なりますよね。

そこから終始緊迫した船内シーンが展開されるのですが、敵襲→遮断→無力化といった流れを汲むお決まりのパターンによるところ。

本筋のストーリー構造自体も難しいところは無く、1年戦争後、戦いが無い時代における軍部とマフティという組織の対立が主。

それ以外に争いはほぼ無いため、対立構造の分かり易さという意味では非常に分かり易いのではないでしょうか。

とにかくなんといっても痺れるシーンなのが暗がりでの戦闘シーン。

終盤までは人間模様であったり政治的な話が主で、モビルスーツ同士の戦闘というのもほぼ見られない。

これが終盤でのタメとして効いてきており、その前の市外戦から徐々に緊張感が高まってくる。

この時点でモビルスーツ対人という構図の怖さ、抗えなさを存分に味合わされ、ギギ同様、絶望感に苛まれることは必至。

その後モビルスーツ戦に突入していくわけですが、この計器類の惚れ惚れするルック、POV的な視点での操縦、画面の縦横、奥行きを最大限に利用した暗闇での戦闘というのは魅力しかなく、暗がりでのビームや爆破の光が全体像を照らすというのもまた儚くも美しく見えてしまう。

3部作初作ということもあり、風呂敷の広げ方がどの程度されているのかわかりませんが、目下気になるところではハサウェイがチェーンを殺害したのか、クエスを殺害したのか。

小説版、映画版と展開が異なるところで、分岐がはっきりとしない部分ではありますが、それは追々わかることでしょう。

いちよう違いをザクッと。

 ◆映画版

・クェスはアムロに撃墜される
・その直後、錯乱したハサウェイがチェーンを誤射して殺害

→ 「誤射による取り返しのつかない罪」として、 ハサウェイのトラウマ性が強調される構造。

◆ 小説版

・ハサウェイは戦闘中、クェス本人を撃墜してしまう

→ 「理想を信じた少女を自分の手で殺した」という、 より直接的で重い倫理的罪になる。

とにかく暗がりの戦闘が見どころ。劇場では見えなかったのが家では見える。

なぜ初見ではそれに気付けなかったのか。それは見えていなかったからだけなのか。

良き映画は良き体調あればこそというのも間違いのないところで。

では。

『プラハの春 不屈のラジオ報道』|報道は武器になるのか?

『プラハの春 不屈のラジオ報道』

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1968年にチェコスロバキアで起こった民主化運動「プラハの春」で、市民に真実を伝え続けたラジオ局員たちの奮闘を、実話をもとに描いたドラマ。

社会主義国家の政府による検閲に抵抗し、自由な報道を目指して活動しているチェコスロバキア国営ラジオ局の国際報道部。中央通信局で働くトマーシュは、上司からの命令により報道部で働くことになる。それは、学生運動に参加している弟パーヤを見逃す代わりに、報道部と同部長のヴァイナーを監視する国家保安部への協力を強いるものだった。やがて報道部で信頼を得たトマーシュは、さまざまな仕事を任せられるようになる。真実を報道しようとするヴァイナーや局員たちの真摯な姿勢に触れ、弟への思いと良心の呵責との間で葛藤するトマーシュ。そんな中、民主化運動による「プラハの春」が訪れる。国民が歓喜する中、中央通信局に呼ばれたトマーシュは、驚くべきある内容をラジオで報道するよう命じられる。

チェコ本国で年間興行成績および動員数1位となる大ヒットを記録し、チェコとスロバキア両国の映画賞で多数の賞を受賞。第97回アカデミー賞国際長編映画部門のチェコ代表作品にも選出された。

事実は圧倒的に重く、それでも尊い。

いつの時代も、何かを変革するのは抑圧の中、立ち上がった人々の物語であって、タイムリーに尊ばれるものでは無いというのは世の常。

時を経てようやく理解されるものであるから、当事者はどれほどの無念と苦悩を抱えてきたのか計り知れない。

でも、多数派や忖度に飲まれ、溜飲を下げるより、”本当に正しいと思う信念に従う”このプライドだけは捨てたくないものだと改めて自身の信念を問われる。

本作は史実にあるプラハの春という民主運動の最中、報道という武力や政治では無い、メディアとしてのあり方を問うているような、事実を元に描かれた作品となっている。何にせよバックボーン無しでは少々理解が難しい。

ということでまずは事前情報として知っておくと良いことをまとめてみました。

1. 「プラハの春」とは何か

1968年に当時のチェコスロバキアで起きた民主化運動のことです。共産党のリーダー、ドゥプチェクが「人間の顔をした社会主義」を掲げ、検閲の廃止や表現の自由を認めようとしました。

 

2. ソ連(ワルシャワ条約機構軍)の軍事介入

この民主化の動きを「社会主義陣営への裏切り」とみなしたソ連を中心とする軍隊が、1968年8月21日に突如として軍事侵攻を開始しました。これによりプラハの街は戦車で埋め尽くされ、民主化の夢は踏みにじられました。

 

3. なぜ「ラジオ」が重要だったのか

ネットやSNSがない当時、ラジオ放送局は唯一の真実を伝えるライフラインでした。ソ連軍は真っ先に放送局を占拠・封鎖しようとしましたが、局員たちは命がけで地下や秘密の場所から放送を続け、国民に「冷静に抵抗すること」を呼びかけ続けました。

 

4. 主人公たちの葛藤:秘密警察(StB)の影

当時のチェコスロバキアには「StB」と呼ばれる恐ろしい秘密警察が存在していました。映画では、愛する家族を守るために当局のスパイになるか、それとも正義を貫いて真実を報じるかという、極限状態での「選択」が大きなテーマとなっています。

 

5. 実際の音声と映像の融合

この映画の大きな特徴は、当時の実際のニュース映像や録音された音声が巧みに使われている点です。フィクションでありながら、歴史の目撃者になったようなリアリティを感じさせる作りになっています。

相変わらずスパイと権力のマリアージュに染まる時代背景。現代と多分に異なる政治背景や市民達の意識の違い。

映像に対しての環境の違いが印象深く、序盤から放送や爆撃、調理音や電話、歓声や警告音といった様々な音への意識が鋭利に研ぎ澄まされ、映像とともに脳内を刺激する。

何が始まっているのかはわからずとも、ただならぬ事が起きていることを想起させる序盤。その流れのまま、すんなりと作品に没入させる構造というのは映画的フックの付け方として実に秀逸。

その後もソリッドに話が進行するのですが、まあ当然起きていることがシリアスかつ史実に持たれているため、骨子が固い。

時折入る緩急の仕掛けとして、そして民主化のキーとして挿入される楽曲の選曲、弛緩するその場面が少々の息抜きを与え、それは演者同様、鑑賞者である我々の場を和めてくれる効果としても絶妙に機能している。

音楽は自由の象徴として、世相を反映したアーティストの音像に乗せた主張だと言うことを肌感覚を持って知らしめる。

特にエンドロールで流れたBLUE EFFECT「Sun is so bright」は痺れましたね。

1960年代に作られたとは思えないメロディアスでサイケデリックな装い。

現行で聴いても全然通用するようなメロディセンスをあの時代に奏でるとは。チェコのバンドというのも面白く、詩的な部分は翻訳を観ないと理解は出来ないものの、若さゆえの孤独や迷いの中にありながら、かすかな希望を追い求める切実な心の叫びが込められている。

希望こそが渇望する原動力となる。

そしてそれを芸術の力が解放する。

痺れます。

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ファッションの対比も面白く、自由を求める国際報道部の面々は暗く、制服的であるそれらでなく、あくまでも自身の意志に基づく格好を好んでいるのも頷ける。

抑圧するのは勝手であり、だからこそ反骨するのも勝手であると言わんばかりのパンク精神。

映画『プラハの春 不屈のラジオ報道』公式サイト

ただし、圧倒的に異なるのがそれが死に直結するような、迫害に直結するような事実であり、それでもなお主張を貫けるのかという、生半可な覚悟では出来ない世相だからこそ簡単な話では無い。

その主線として登場するヴァイナーの存在も非常にタフであり、欠かせない。

プラハの春 不屈のラジオ報道 – アップリンク京都

抜群の存在感と信念を感じさせる趣、主張や行動の一貫性と覚悟を滲ませる行動というのは畏敬の念を抱かずにはいられない。

演じているのはスタニスラフ・マイエル。こういう映画の重要な役柄というのはその立場だけでない重要な存在となるだけに彼の演技というのは非常に好感が持てた。

主人公のトマーシュを演じたボイチェフ・ボドホツキーも同様で、自分の意思と、両親や世相との間における葛藤というのを感じさせる好演が目立った。

他の演者も同様で、それぞれのやるせなさ、希望のようなものを垣間見せる仕草や言葉。細やかな機微から空気感を感じさせる余白というのは観ていてひしひしと伝わってくる。

如何に立派なことを言おうとも、有事の際にどういった行動を起こし、考え、立ち回ることが出来るのか。

試されているのはその姿勢だということを身を以てトマーシュから学ばせてもらいました。

心の動揺はあれど、真に揺さぶられ、そこから立ち上がることも出来る。それが伝播し、拡散されるラジオのように。

史実をもとにしているものの、ラジオ(WAVE)という媒体をメタ化し、象徴としての表現をも担わせる作り、まさに電波は伝播するということ。

序盤で火を焚べるトマーシュからラストで火を焚べる弟のパーヤで締めるというのも火は絶やさなければ燃え続けるというモチーフとともに、良き革命の一端を見させてもらった気がします。

では。

瞑想

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『僕たちは希望という名の列車に乗った』が描く、民主主義が生まれる瞬間

『僕たちは希望という名の列車に乗った』

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ベルリンの壁建設前夜の東ドイツを舞台に、無意識のうちに政治的タブーを犯してしまった高校生たちに突きつけられる過酷な現実を、実話をもとに映画化した青春ドラマ。

1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を見る。自由を求めるハンガリー市民に共感した2人は純粋な哀悼の心から、クラスメイトに呼びかけて2分間の黙祷をするが、ソ連の影響下に置かれた東ドイツでは社会主義国家への反逆とみなされてしまう。人民教育相から1週間以内に首謀者を明らかにするよう宣告された生徒たちは、仲間を密告してエリートとしての道を歩むのか、信念を貫いて大学進学を諦めるのか、人生を左右する重大な選択を迫られる。

監督・脚本は「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」のラース・クラウメ。

一見すると学園ものにも見えるようなやり取り、だが、すぐに時代背景や思想性の滲むストーリーの重厚さに気付かされる。

時は1950年代、ベルリンの壁建設前の東ドイツでの話なのですが、現代とは大違いの様相、政治的な思想が様々な事柄を左右し、学生という本分であってもそのしがらみからは逃れることが出来ないと知る。

圧倒的に現代と異なる、当事者性の違い。

学業や学生生活、違わぬところも多い中、そこまで政治や国家というものに関心があり、というか関心を持たなければ生活に支障をきたすといった学生がどれほどいることか。

おそらく皆無だと言えるほど、平和的で実生活への関与が薄いというのが圧倒的な当時との差。

よく捉えればそうした事柄に左右されないということですが、”気にしていない”という構図が圧倒的違いであり、自分含め危険性も孕んでいることを認識させられる。

直近で観た『アフターザ・ハント』などにも近い構図があり、あちらは哲学、こちらは思想的な迷宮への誘い。

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特に大人たちのやり取りがミステリーものかと思わされるほどに後を引く。

教師の立ち位置、親父たちの思惑や含み、様々な事柄の形なき根拠の所在に揺さぶられ、本当の真実が何なのかということを問われる。

この解決についても見事に成されており、エリックの言う「結局何かに縋っているだけ」というのは自身も含めその通りであり、そうそう自分の意見だけで抗える人もいないものだと痛感する。

一方、各々が束となり総意になればそれは揺るがぬ信念に変わる。

終盤でテオが言う「自分で考えろ」というのはまさにそれであって、どんな事柄が背景にあろうとも、結局誰かのせいにしていては何も見えてこないし、見出すことも出来なくなってしまう。

そうした事柄をつなぐ役割として、パウルのおじさんが出てくるわけですが、彼の一言一句、振る舞いなどの達者感がツボで、言い得て妙な他を寄せ付けぬオリジナリティに惹かれる。

登場から普通でないことを想起させ、多数派を当たり前に、少数派には嘲笑をという構図が透けて見える民主制の否応なさを痛感する。

その後の彼と議論になるシーンにおいて、行った行為の意図を話す場面が出てくるのですが、彼の思想の鏡のような役割、知的さが垣間見えシニカルに物事を捉える姿勢というのが学生たちに痛切に響く様を見る。

こういうどちらが良いとか悪いとかでなく、真摯に全てを見渡せるような年のとり方をしたいなと思うわけで、その意味でも彼の存在感は実に大きかった。

そして終盤ですよ。

この映画の私的一番のカタルシスシーンが。クラスでの一コマ、誰が悪戯を仕掛けた首謀者なのかということに話が詰まってきたシーンでのやり取り。

今までのそれぞれの思想や思いが交錯してきた中、一点に向かって収束する。

あの瞬間、本当の意味での民主主義を見た気がするんですよね。それまでの単なる多数決やおふざけなどからの派生でない真の民主制。

見落としでなければ一番前に座っていた女の子一人はその渦中でも席に座ったままで加わることをしていなかったように思うのですが、それもそれという点含め民主制の真実味がリアルに伝わってくる。

強要による民主でなく、反対意見も含めてのそれ。

結果どうなるのかといったことや、その後どう振る舞うのかということも個人の判断に委ねられているというのこそが真の民主。

ラストから始まる物語がどういったことになるのかという含みを感じさせる終わりにも好感が持てましたし、史実に基づいてとはいえ、そこまで語る必要は無く、予感のみを残した幕引き。

争いの発端に保身や損得があるのは百も承知で、そうした闇に絡め取られた親父たちの様もわからんでは無い。

でも、それを知ってなお自分の足で立ち上がらなければ生かされるだけの傀儡に成り下がってしまう。

西ドイツへ向かうことにした際に起きるトラブルから生じた、クルトと親父のやり取りも痺れましたね。

出来ることは少ないし、やれなかったことも多い。でも少しでも変わろうとする姿勢が見えるという静かなる闘志を宿す。

やるせない中にも、やれることはある。

自分が諦めなければ。

では。

『アーセナルvsサンダーランド』サーモン無双、ハヴァーツ再起、ギョケ量産体制へ

『アーセナルvsサンダーランド』Arsenal Scores, Stats and Highlights - ESPN (AU)

12ライス好判断
26ラヤのフィード半端なし

62スビのカバー良き
81サーモンのコントロール相変わらず美しい

強かった。だがサンダーランドもアウェイとは思えぬ気概を見た。

スタメンはこんな感じ。

ハヴァーツもスタメンということで調整は順調ということでしょう。

前半はサンダーランドも下がらずでミドルゾーンでの攻防メイン、ただ、それなりに押し込めていた印象もあるわけで、両者とも悪くはない入り。

サンダーランドのブロビーは脅威でしたね。サリバとのガチンコ勝負でも競り負けず、単騎突入でポストプレー、殴り込めるというのは嫌なものです。

とはいえバチバチにやり合い、サリバも強過ぎる。

今回いつもと異なり左側を上げ気味でのプレスメインで、故にサーモン、カラフィオーリのデュエルが多かったですね。

ここ最近サーモンの躍動と負担の増加が気にあるところではあり、終盤の怪我は心配ですね。

一方でこの試合でもMOM級の活躍を見せ、本当にいつ見てもボールコントロールが素晴らしい。

両足使えることもあり、タイミングを図るのも足による制約が無い分、臨機応変にプレー選択ができるのも大きいところ。

実際キーパスも4本、クロスも6本上げてるんですよね。

ハヴァーツも効いてるんですよね。

以前と異なりトップから一列下がったところでのプレーメイクにも定評があり、というか元々はこの辺が主戦場ですからね。

その位置でのエゼとの関係性が良い気がするので、エゼと組んでほしいところではあるのですが、とにかくボックス内でも仕事が出来、縦横無尽にポジ取れるのは強い。

それにしてもスビのゴールは痺れた。

あのコース、あの弾道、エグい。サーモンのアシストも丁寧かつ素晴らしいものでしたが。何にせよゴールがパーフェクト過ぎた。

その後2発のギョケも同様。

これによりギョケのゴール数も8に。

ここからの量産を期待したい。

では。

『ウルフ・オブ・ウォールストリート』は資本主義の祝祭か地獄か

『ウルフ・オブ・ウォールストリート』

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レオナルド・ディカプリオとマーティン・スコセッシ監督が5度目のタッグを組み、実在の株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォートのセンセーショナルな半生を描いた。

22歳でウォール街の投資銀行へ飛び込んだジョーダンは、学歴もコネも経験もなかったが、誰も思いつかない斬新な発想と巧みな話術で瞬く間になりあがっていく。

26歳で証券会社を設立し、年収4900万ドルを稼ぐようになったジョーダンは、常識外れな金遣いの粗さで世間を驚かせる。全てを手に入れ「ウォール街のウルフ」と呼ばれるようになったジョーダンだったが、その行く末には想像を絶する破滅が待ち受けていた。

ジョーダン自身による回顧録「ウォール街狂乱日記 『狼』と呼ばれた私のヤバすぎる人生」(早川書房刊)を映画化。共演にジョナ・ヒル、マシュー・マコノヒー、マーゴット・ロビーら。

これほど終始陽気で狂ったディカプーを見たことがない。

全編を通し、役者としての振り切った大盤振る舞いが炸裂。スコセッシ作品といえば長尺が多く、本作も179分と3時間あまりの大作。

なのですが、馬鹿騒ぎとカッティングの冥利、楽曲のドライブ感がそんな時間感覚を見事に吹き飛ばしてくれる。

それくらいにファニーでぶっ飛ぶ。

実話ベースということもあり、当時のウォール街、というか株の世界、投資の世界というのがどれだけ狂っているのか。人の情報、欲に漬け込んだ商売というのがこれほどまでに人々を侵食するものなのかと驚かされる。

まず物語の冒頭からしてプロパガンダめいたCMに始まり、皮肉の応酬。切れ味はスコセッシならではの毒っ気たっぷり、お腹いっぱい演出。

サウンドや映像的にもそうで、とにかく常に食い気味に流れる音楽。そのアッパーチューンさが映像を軽快に牽引していく。

ジャンルもお構い無し、とにかくアゲる。

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金融業界の混沌さを表現したかのような音の洪水とテキスタイル。交わる映像も食い気味かつ、外連味ある動き。

語りかけるディカプリオの宣伝広告にも似た振る舞いがあり、喜劇的で刺激的な世界を覗き見ているかのよう。

カオスさの極みというところもそうで、全編狂騒のオンパレード。

画的にもドラッギーな演出が多用され、そのどれもが本当にぶっ飛んでいる。そしてその演技をする演者たちも全員がハイテンション過ぎる。

ブラックを越えたユーモア?と呼んでよいのかどうか。そんなことも憚られるようなところがあるほどで、劇中の「Fワード」使用回数は500回以上。映画史上トップクラスだとか。

観れば一目瞭然のヤバさ。

なかでも中盤の麻痺して這いつくばり、運転して・・・というシーンは爆笑に次ぐ爆笑。そこからのドニーとの擦った揉んだも含め、クレイジーにもほどがある。

実際に起きていた事象はあれよりもヤバかったとのコメントも見られ、だとするとどれだけ狂った描写だったのかと想像するのもおぞましい。

情報、スピード、演出、全てが加速度的に観客を置き去りにし、観て理解するという感覚を強制的に超越するドライブ感。

ちなみにジョーダンの奥さん役で登場するマーゴット・ロビーは当時ハリウッドでは無名に近かったとのこと。ただ、登場した瞬間、人としてのレベルが違うということを思ったのは全米をおいて間違いないでしょう。それほどに美しく、端正なルックス&ボディ。

ファッション的な観点からも興味深く、コテコテなのに仕立ては良い。

ぱっと見で上質な仕立てだと気付くような素材感とシルエット。徐々に煌びやかさが増していき、スタイルとステータスが交錯する。

あくまでも成金スタイルなのにストリートの文脈を感じるスタイリング。

クラシカルな要素というよりも着崩すような生き様が映える。単に表層を取り繕う着衣にして、スーツの基本は押さえている。

スコセッシ&ディカプリオのコンビ最高傑作『ウルフ・オブ・ウォールストリート』

The Wolf of Wall Street' Teaches These 7 Lessons for Success

ネクタイの派手さや柄の多様、派手なのにそれをカバーする仕立ての良さ。

この辺の文脈がストリート要素というか素地の雰囲気を際立たせ、単なるエリートで無い、むしろ地べたを這ってきた雰囲気を醸し出させる。

The Wolf of Wall Street Review | SBS What's On

私服に関してはTHE成金なブランドやロゴを前面に主張したダサさで、これは全く参考にならず。

まあそれこそが本作の演者のキャラクターであり、本当の姿とも言えるわけですが。

レザボアよろしくな会話シーンもテンポ良く、どうでもいい話をとうとうと述べるのも癖になる。

くだらない会話や馬鹿げた話は話者により決まるという勝手な偏見があるのですが、それを彼らは体現している。

行動も馬鹿げているなら話も同様、起きる全てがハチャメチャでカオス狂乱の映画体験。

変幻自在のディカプリオが何よりも見ものですし、その他の演者も曲者揃いではまり役多し。

ちょい役のマシュー・マコノヒー演じるハンナは10分弱にもかかわらず映画の思想を全て網羅しているという達者ぶり。

あくまでも株の価値などどうでもよく、客の金を自分のポケットに移すだけ。感情は捨て、理性を捨てろ。

後にそれを体現するのがジョーダンとなるわけですが、あの伏線は見事な語り口で。

ちなみにハンナの胸を叩きながらの謎のハミングはアドリブだったようですね。それもまた終盤に効いてくるという。

ジョーダンと対照的な出来る男スタイルというのも彼がもう完成後の姿だったからと考えれば説明も付くわけで。

映画 ウルフ・オブ・ウォールストリート マーク・ハンナ マシュー・マコノヒー 高画質の壁紙

こういう細やかな部分、脚本のスパイスみたいなものもスコセッシらしく、外連味ある感じがグッド。

序盤でのレストランにおけるペンのくだり、「このペンを売ってみろ」という答えに対し、終盤でも同様の事柄が生じるところもにくい演出として効いてくる。

ようするに人生において小難しいことは何も無く、ただシンプルに”欲望を喚起しろ”ということ。

逆に言えば欲望を喚起されていることを認知し、行動や判断をしなければ、搾取されるだけ。FBIとジョーダンの関係性ようなことにも成り得るよ、という反面教師的な教訓も。

いずれにせよ映画としては文句なく楽しく、ディカプーの狂人っぷりを観るだけでも十分な作品。

間違いなく新しいディカプリオ像の起点となった作品でもあり見逃し厳禁なのは間違いないことでしょう。

では。