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『アーセナルvsインテル~UEFAチャンピオンズリーグRound7~』ジェズス覚醒と、CLで証明されたアーセナルの現在地

『アーセナルvsインテル~UEFAチャンピオンズリーグRound7~』

Inter Milan 1 - 3 Arsenal - Match Report | Arsenal.com

この勝利は大きい。

サブメンも活躍したというのがありますし、インテル相手に押し込めたというのも大きな収穫。あとはエゼのコンディションのみ。

まずはスタメン。

インテルの3バック、引いている時は5バックという鉄壁を越えれるかと思っていたものの、以外にもそれは杞憂に終わり。しかし苦しみもあり。

ジェズス調子良さげ、モスケラ復帰とスケリーのフィットは好感触でしたね。

特にモスケラは復帰明けにもかかわらず、タフなファイトを展開。

相手がタフ過ぎましたよね。徐々に増員されるインテルの前線、それにサリバと共に果敢にブロックやアタックを仕掛ける。

彼の加入は大きかったということをまざまざと見せつけられた試合となりました。

正直、MOMはモスケラにあげたい。それくらいポテンシャル含め、怪我明けとは思えぬ試合勘、ストイックさでした。

サンキューモスケラ。

そして、なぜsofascoreではCLなどになると走行距離が出るのか。

なぞですが、この仕様は意外に嬉しいところ。リーグでも出してくれないかな。

こう見るとメリーノ走りますね。そしてインテルのスシッチも。

実際デュエル数もトップですし、神出鬼没ですよ。

そんなインテルの直近の傾向として。

✔ 守備重視ベース+中央圧縮
✔ 高い位置での奪取からのカウンター意識
✔ 3-5-2 基本形 → 状況に応じてフレキシブルに変形
✔ プレスのタイミングと守備のバランスが鍵
✔ 縦への推進とサイドの使い方が特徴

サイドを上手く使わせなかったのとプレス強度高めで、自陣に押し込んでいた時間が長かったこともあり、ある程度は阻止できたのかなと。

とはいえ、何度も怪しいカウンターを受けピンチを招いていたのも事実なわけで、その辺はホームでは修正したいところ。

この試合はとにかくジェズスが覚醒したのが大きかったですね。

スタッツ以上の躍動ぶり、フィットネスも高そうでしたし、足元にボールも付いていた印象。

これがコンスタントに出来るのであれば全然スタメンありますよ。

そして感化されたのか、ギョケも見事なゴールでした。

練習が生きたパーフェクトゴール。ギョケらしさという意味でも、スポルティングのプレー集で観たのはこれだったと思い出させるゴール。その後のシュートでもパワフルさ戻ってましたし、これこそ自身の糧にしてくれ。

アウェイでこの勝利を手にし、ほぼ確ながら油断は出来ない。

次のホーム戦は更なる勝利を。その前にユナイテッド戦が待っている。

では。

『「月の椀」サカナクション』でしか得られない感覚|浮遊する音像と記憶の器

『「月の椀」サカナクション』


www.youtube.com

感情や記憶、さまざまな受け皿としてのメタ化された月の椀。

抽象的な器としてのクラブミュージック的ビートと内省的な歌詞が美しく融合したようなサウンド。

ノスタルジーとハイテクが融合したような不思議な浮遊感。

とにかく出音にやられる。

80年代のシンセポップを感じさせるテクスチャが印象的。

年末から久々にサカナクションモードに入っており、その中でランダムに聴いていて今のテンションにグッとくる一曲。

「ネイティブダンサー」「アイデンティティ」で確立された夜のグルーヴ感覚を、よりミニマルで陰影の深い表現へと深化させたという印象もあり、静けさと呼応するシンセやドラミング、山口さんのボーカルが自然と融和する。

中でも印象的なのがシンセの立ち上がりと、スネアの抜け感。

序盤のアップテンポでオリエンタルな質感にキャッチアップされ、揺蕩うようなサウンドと内省的な歌詞に包まれる。

中盤での低域シンセが底から這い上がるような立ち上がりが見事で、身体を押し上げられるようなうねりにぞわっとする。

モノラルとステレオによる使い分けの効果もあってか、狭い音域からぐっと広がる空間の広がりも相まって、音像の緻密さにとにかく驚く。

こういう細部へのこだわりはさすがだなと思うわけで、ヘッドホンや狭い空間でのそれは抜群に心地良い。

スネアの乾いた質感と間の取り方が、楽曲全体に“夜の呼吸”のようなリズムを与えているように思え、シンセとの対比がいっそう引き立つ。

煌めきとノスタルジーの融合、音に合うフィーリングが心地良い一曲。

では。

アダプト [通常盤]

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90年代『MAVERICK(マーベリック)デニム』——なぜ今、古い色落ちに魅了されるのか

昨年からデニム熱が高まってきている。

中でも絶妙な色落ち、太過ぎないシルエット、とにかく生地の質感ベースでの個体を探すのにハマっている。

今回ディグでゲットしたのがこちら。

『MAVERICK(マーベリック)デニム』

まずブランドについて。

1. ブランドと製造背景

  • MAVERICK(マーベリック): ブルーベル社(後のラングラー社)が1950年代に立ち上げたブランドです。ラングラーの兄弟ブランドという位置付けで、ヴィンテージ市場でも人気があります。

  • ワイエフジャパン(株): タグに記載されているこの会社名は、かつて日本でラングラーやマーベリックのライセンス展開を行っていた**「山根英彦氏(EVISUジーンズ創業者)」**などが関わっていた時期の会社です。このため、ヴィンテージのディテールを意識したこだわりの強い作りになっているのが特徴です。

パッチに見覚えはあったのですが、個体として所有したことは無く、ただ色落ちが抜群に良く、掘り出し物価格によりピック。

1990年代後半〜2000年代初頭に日本で展開されていた復刻・企画モデルのようでネオビンテージとしても絶妙な立ち位置。

色落ちにしろ、日常使いの結果こうなったであろうところが顕著で、加工技術が上がったといえ、実際の経年変化に劣るのは間違いない・・・と思っている。

まあ定義にもよるわけですが、個人的に質感、劣化込みでの色落ちなわけですから、疑似的な仕様だとなんだか心が動かない。

シルエットに関しては細過ぎずなストレート。

意外にどの格好にも馴染み、重宝している。

冬場だと重くなりがちなところに淡色のデニムは映え、特に重衣料(ウールやレザー)などと合わせるとバランスが取り易い。

ゴリゴリのヴィンテージほど掘りのある色落ちでは無いが、濃淡のはっきりとしたグラデーション、程よくフェードしているこの色味が好み。

では。

『アーセナルvsノッティンガム・フォレスト』枠内14本で沈黙…アーセナル攻撃はどこで詰まっているのか

『アーセナルvsノッティンガム・フォレスト』

Arsenal and another missed opportunity - The Athletic

11ライスよくブロック入れたな
17マルティは折り返しのタッチとスピードエグいな
22サリバ固い
30サリバの攻防上手いんだよな

またしてもまたしても。

リーグ戦では2戦不発。しかも両試合共に決めるチャンスは多々あってのそれ。

とりあえずスタメン。

シュート数にしろ、フォレストは6、そのうち枠内1に対しアーセナルは15、枠内14ですからね。

それなのに決まらない。

決定力的な部分での問題なのかとも思っていたのですが、誰が、どんな状況でも決めきれないのは人によるところでは無いのか?

プレミアの強度の高さ、トランジションの速さからゴール前での局面がタイトなこともあるでしょう。

でも、それでも決めれているチームがいるということはそれ以外の要因に起因しているのかと。

個人的な見立てとして、まずアーセナルがショートカウンターとロングカウンターを併用しているとはいえ、ウイング起点からのフィニッシュが多い。

Whoscoreでもウイングからの攻撃はストロングとなっており、得点に絡むのもウイングが半数を占める。(ゴール数9、アシスト数7)

なのでそこにダブルチーム等、対策が出てくると強度が落ち、チャンスメイクやシュートチャンスがタイトになりがち。

そして今季顕著なセットプレーからの得点。

15得点がセットプレーからによるものでアーセナルの総得点40うち3点はPKからすると40%がセットプレーからということに。

その後リーズ、チェルシーと続くのも意外ですが。

ということでこれら2点が無いと多分に得点力が低下するという。

後半に入り、明らかに強度が落ちたのも謎でしたが、フォレストが粘ったのも事実。

エリオットは良い選手ですね。ギブスホワイトも攻撃の起点としてほぼほぼ絡んできましたし、ハドソンオドイを右に置いたことも、ティンバーを足止めさせる理由として理に適っておりました。

CLインテル戦、ユナイテッドと続きますが、得点力を上げねば。

では。

『アーセナルvsチェルシー~カラバオカップ準決勝1stレグ~』ハイプレスの猛攻とティンバー左起用の正解

『アーセナルvsチェルシー~カラバオカップ準決勝1stレグ~』

Arsenal player ratings as Viktor Gyokeres stars and five others impress in  Chelsea win - The Mirror

最近前半、後半で別物になる試合が多い気がするのですが、それは選手に起因するのか、相手の戦術対応によるものなのか。

この試合はそこまで差があったわけでは無いと思いつつ、前半の方が確実にチームとしての勢いがあったのでは。

数字で見るとそこまでの違いは感じないのですが、肌感覚としては後半の方が押されるシーンも多かった気が。

まあ前半ポゼッション45%から後半39%というのは、チェルシーに持たせてアーセナルはショートカウンター狙いというのは明白でしたし、それもプレスの掛け方からしてかなりアグレッシブでハイプレスな部分は圧巻でした。

【前半ー後半】

アーセナルは左に珍しくティンバーを置き、ガチガチにしてきたわけですが、これは功を奏しましたね。

エステバンの切れ味と技術を鑑みるとスケリーでは少々心もとないところもあったかと思われ、その意味での対応もティンバーならでは。

実際デュエル数トップ。

デュエル数に対してポゼッションロストも少なく、安定して対峙出来ていたなと。しかも相手がキレキレのエステバンという。

あれだけハイプレスで前傾姿勢も目立った中での貢献というのは大きかったのではないでしょうか。

それからスビも躍動していましたね。

抜け出すシーンも多く、「えっ、ここでスビ」という場面が間々見られたのも非常に印象的。

足元は当然ありますし、抜群の嗅覚をもってして攻撃にも直接貢献という。

サリバも足元の上手さ光ってましたよね。

相手ゾーンにおいてなんであんなに落ち着いて引きつけ、抜きされるのか。

CBでこれほど足元が上手いというのも本当に希少なところ。

ギョケも覚醒の兆しとなるか。

タッチ数も17とそこまで多くない中、それは別段構わない。

得点に絡む動きがどれだけ出来るのか。

この試合では1G1Aをかまし、前を向いてのドリブルやポストプレーも見られ、良さも出ておりました。

ホワイトもなんやかんやであのオーバーラップは魅力的なんですよね。

守備時の若干の不安要素もありつつ、それでも安定はしており、攻撃時のサカとの連携は光るものがある。

卒なく完璧なクロスを上げますからね。

とりあえずの1stレグ、アウェイでこの戦いが出来ればホームは平気だと信じたい。

では。

冷戦下ドイツの色彩と沈黙──『善き人のためのソナタ』が沁み続ける理由

『善き人のためのソナタ』

Amazon.co.jp: 善き人のためのソナタ スタンダード・エディション [DVD] : ウルリッヒ・ミューエ, セバスチャン・コッホ,  マルティナ・ゲデック, ウルリッヒ・トゥクール, トーマス・ティーメ, ハンス=ウーヴェ・バウアー, フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク  ...

秘密警察による反体制派への監視が行われていた冷戦時代の旧・東ドイツ。秘密警察局員のビースラーは、ある日“反体制派”と目される劇作家ドライマンを監視するように命じられる。

ドライマンの家に盗聴器を仕掛けたビースラーだったが、彼の部屋から聞こえてきたピアノ曲「善き人のためのソナタ」に心を奪われてしまう……。

監督は、本作でデビューを飾った33歳のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。第79回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した。

現在読んでいる本の影響からドイツ関連、ホロコーストやナチスに纏わる作品が気になりだしての再鑑賞。

そもそもにして本作は生涯ベスト10にも入っているわけでして、今観てもその感覚は色褪せていない。

やはり沁みる。

静かな映像と統一の取れたコントラスト。

歴史的な背景は別として、当時のドイツのこのカラーセンスというのは今にしてもセンシティブに映る。

Das Leben der Anderen | Filmkritik | choices - Kultur. Kino. Köln.

グレーを貴重としたようなグリーンと無彩色、木材や金属のコントラストも相まり、それらが無為に調和した世界。

戦時下は人の心を狂わすもので、ここまでの統治、抑圧、自由というものが奪われていた監視社会にゾッとすることも間々ある中、私自身にそうした恐怖を植え付けた根本は本作だったように思う。

統治するために弛まぬ努力と時間を割き、そこに労力を課すことで何を得ようとしたのか。

当時の時代背景を知ってもなお、人間の所業というのは理解しがたいものがありますが、本当に同調圧力の肥大化というのは恐ろしいもの。

当然そこには悪意の秘匿があり、それらを死守するために様々な管理、統率が成されるということは重々承知しております。

人間の欲や傲慢さが産んだ究極の形がそれと思いつつ、本作の主人公であるビースラーもまた何の疑いも無いという様子が冒頭から淡々と描かれ、その冷たく狂気じみた様が効果的に描かれていく。

統一されたカラーバランスと寒々しさが同居した画作り、その効果による統一感というのは見事なもので、序盤から作品自体の持つ構造を提示するようなグレーディング、妙な寒々しさと陰鬱さが伝わってくる。

その流れを汲んだまま、正常な価値観も持ち合わせているであろう学生達と対比させ、密偵を兼ねたやり取りに終止する様から社会の全体像を明示する。

これだけでビースラーの、当時の東ドイツという国の有り様がありありと映し出されていくという抜群の流れ。

そこから主に監視を中心とした会話劇がメインとなるわけですが、芸術というものの偉大さ、抑圧することの難しさが対比的に描かれ、それらが内包する信念の一端を鑑みることに。

芸術というものはあっても無くても同じと思う人もいることでしょう。

でも、一度その一端に触れ、琴線を刺激されてしまうともはやそれ無しでは生きていけないほど圧倒的な力を秘めている。

本作では舞台というものがその芸術装置として扱われるわけですが、この中に秘めたる信念や思い、表現というものの率直な魂がどれだけ強い効果効用をもたらすか。

芸術がテーマになっているからこそ、冒頭に書いたカラーマネジメントの細やかなこだわりも光りますし、町並み、ファッションに至る気遣いも見れば見るほど美しい。

ドライマンは登場シーンからセンスを感じせさせ、ブラウンのセットアップにグレージュのシャツをラフに纏うスタイルが様になっており、こういうイケオジになりたいと願わくば。

TV-Programm: "Das Leben der Anderen" | Filmdienst

色合わせと着こなしのルーズさも相まって人柄もわかりますし、何より配色が良い。

衣装はガブリエレ・ビンダー。

それほど多くの作品を手掛けているようでは無いのですが、同監督の『ある画家の数奇な運命』などでも衣装を手掛け、これまたセンスが良かった。

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特に衣装で目を引いたのが脚本家などと公園で落ち合うシーンなのですが、全員が冷戦下ということもあってのこのカラーバランスというのは承知の上、映画としてのセンスの出し方が存分に伝わってくる重ねの冥利。

ただそれっぽいものを着させてもここまで洒落感は出ないですからね。

細やかな気遣いと絶妙な配色があればこその映画的演出。

中でも右側の人物のやさぐれ感にミリタリーのアウター、ストールのようなものをラフに巻き、足元のライトなブラウンの革靴との対比が堪らない。

Das Leben der Anderen (2006) - Film | cinema.de

美術面も含め、とにかく当時の再現に映画的脚色を加えるのが上手い。担当はジルク・ビューア。これまた衣装同様、他作がほとんど無い。

それでも監視部屋の色彩であったり、ドライマンの部屋であったり、随所にセンスが滲み出る。Das Leben der Anderen - Google Play の映画Das Leben der Anderen: 12 Mind-Blowing Facts You Never Knew! - Critic Film

作品自体は至極ミニマムなわけで、故に出てくる人物は少ない本作ですが、出てくる主要な人物達の演技力が凄まじく、特にドライマンとビースラー、この二人は本当に素晴らしい。

佇まいからして共に芸術家とシュタージ然としているし、発言、なにより表情ですよ。目配せやちょっとした表情の変化などから様々な事柄を訴えかけてくる。

当時を知らずともこうした演者の表情や仕草一発で世相を垣間見ることが出来、やるせなさや喜びの才を図る事ができる。

楽曲の秀逸さというのも相まっており、美しいメロディと皮肉の同居、作中での効果含めた映像とのハーモニーが抜群に沁みる。

1. 劇中曲は「実在の作曲家」による書き下ろし

劇中でドライマンが弾くピアノ曲『善き人のためのソナタ』は、既存のクラシック曲ではありません。この映画のために、アカデミー賞作曲家ガブリエル・ヤレド(『イングリッシュ・パニッシャー』など)が書き下ろしたオリジナル楽曲です。

  • 小ネタ: 物語の設定上、現代音楽(20世紀音楽)の響きを持ちつつ、冷酷な盗聴者ヴィズラーの心を「破壊」するほどの叙情的な美しさが必要だったため、非常に緻密に計算されて作曲されました。

2. レーニンの言葉「アパッショナータ」への皮肉

ドライマンが曲を弾き終えた後、「この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない」という趣旨のセリフを言いますが、これはウラジーミル・レーニンの実話に基づいたエピソードへの強烈な皮肉です。

  • 背景: レーニンはベートーヴェンのピアノソナタ第23番『熱情(アパッショナータ)』を愛していましたが、「これを聴き続けると、革命を成し遂げるために必要な残忍な行為ができなくなる(だから聴くのをやめなければならない)」と語ったとされています。

  • 意味: 国家のために人間性を捨てたヴィズラーが、まさに「レーニンが恐れた事態(音楽による感化)」に陥るという象徴的な仕掛けになっています。

3. 指揮者イェルスカのモデルと「ブラックリスト」

ドライマンに楽譜を贈った演出家イェルスカ。彼が自殺する設定は、当時の東ドイツに実在した芸術家たちの悲劇を集約しています。

  • 小ネタ: 実際に東ドイツでは、国家に反抗的とみなされた芸術家は「プロフェッショナル禁止(職業禁止)」という実質的な死刑宣告を受け、精神的に追い詰められて自死を選ぶケースが多発していました。劇中の楽譜は、失われた才能たちの「血の象徴」でもあります。

4. 音楽が「壁」を越えるメタファー

ヴィズラーは壁の向こう(屋根裏)で、ヘッドホン越しにこの曲を聴きます。

  • 構造: ドイツを隔てていた「物理的な壁」と、体制と個人を隔てていた「精神的な壁」の両方を、音楽という物理現象(音波)だけが透過して、ヴィズラーの冷え切った内面に侵入するという演出になっています。

唐突な死の訪れと、終始漂う死の気配、死と瀬戸際に生きる人々の暮らしの中、それでも自分の信じる何かの為に命を賭すことが出来るという究極の選択。

自分が当時を生きていたらと思うと胸が痛むところでもあり、悩ましく思う。

描き方に誇張があるにせよ、真摯に映る現実の様というのを丁寧に描き、余白を残す。

ベルリンの壁崩壊後からの回顧を兼ねたアフターストーリーの見せ方も秀逸で、語り過ぎない演出にズドンとやられる。

人が人であるということ、誰が為に・・・、心の深層を伺うような結末の重さというのは、さも美しく儚い。それでいてかけがえの無いものがそこにあるということを改めて噛み締めずにはいられない。

では。

善き人のためのソナタ サウンドトラック

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  • アーティスト:サントラ
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なぜ“顔”はここまで人を縛るのか──50年後も刺さる『他人の顔』

『他人の顔』

液体空気の爆発で受けた顔一面の蛭のようなケロイド瘢痕によって自分の顔を喪失してしまった男……失われた妻の愛をとりもどすために“他人の顔"をプラスチック製の仮面に仕立てて、妻を誘惑する男の自己回復のあがき……。

特異な着想の中に執拗なまでに精緻な科学的記載をも交えて、“顔"というものに関わって生きている人間という存在の不安定さ、あいまいさを描く長編。解説:大江健三郎。

顔、人間における表層上の最たるものであり、それ無しに語ることが出来ないとすら思える概念であり呪縛とも言える。

時折思うことがあり、人が顔というものにどれだけ縛られ、どれだけ影響されているのか。

ルッキズムなどと言葉を付けて言ってしまえばそれまでだし、そうした並列的に捉える差別的な価値観を避難することも容易に思う。

一方で本当に人間を見る際、”顔”というものをないがしろにした状態で認識することなど可能なのだろうか。

人間に限らずモノであっても同じことで、結局表面上の何かしらを拠り所に、無意識的に選んだり、選ばれたりというのを避けることができ得るのだろうか。

安部公房が本著を書いたのが昭和43年。50年以上の時を経ても変わらないテーマだと改めて痛感する。

昨今では整形や美容医療の進歩なども相まってか、オリジナル、非オリジナルという観点における見方も加わり、そこにAiというさらにややこしいものすらも登場する始末。

本作では他人の顔というタイトルのもと、顔面に怪我を負い、仮面という形での別人格ともいえる存在を媒介に、その両者で揺れ動く心情。周囲との関わりの中で炙り出しされていく感情の変化。仮面というのもまた旧来から使用され、同様の効果や期待の中から生まれてきたものであるというのは納得のいくところでもある。

仮面を付けることで匿名的に、大胆になれるというのは素顔でないからそうできるということの裏返しであり、それはSNS時代の匿名性ともリンクする。

劇的に何かが変わるわけでは無いのに、一つの障壁を挟むことでなぜこんなにも性格や内部から変化が生じてしまうのか。

同じ人であって全くの別人。

人の人格や存在論を刺激するように、個が個であるということの確かさはどこにあるのか。

とりわけ異性間におけるその要素は大きいところであって、人を好きになったり、好意を寄せるという時、その辺を完全に切り離して考えられる人など皆無だろう。

作品での主人公には妻がおり、その妻との関係性、同僚や社会での人との関わりにおける中での人間関係において、それすらも顔一つで変わってしまう。

でも、本当に変わってしまったのか。

当事者の被害者的錯視であるの可能性もあり、実のところわからない。それでも絶対的に変化してしまったと感じるところは絶対にあるはずで、だからこそ不確実性が色濃くなる。

手記という形でノートに記録し、その過程を読みながら、彼の心境の変化や行動、周囲の目などというものを透して顔の存在を認知する。

結局は主観的というよりも客観性が意識されるのが顔というものであり表層上の本質。

常に主観的な視点が終盤での妻の視点になる時にどういう印象を受けるのか、劇中映画の内容を読む時にどういう思いに至るのか。

顔そのものは真実であるのに、その存在は曖昧で抽象的に映る、とすると主観もまた抽象的なものであり、語られるこの小説自体もまた虚構かもしれない。

そう考えると妻の視点、劇中映画の内容、これらもまたある種の見方であって虚構かもしれない。

ラストでの書くという行為にまつわる一文をを読んだ時、顔の所在、真実の所在などというものは幻想なのかもしれないという思いに至り、それでもそれに左右される人間というもののサガにやるせなさを覚えずにいられない自分がいた気もしている。

惑い惑わされ、曖昧に歪む自己認識の矛盾。

だからこそ哲学や宗教といった無形で解釈の余地がある余白を欲するのかもしれない。

では。

仮面の解釈学

仮面の解釈学

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