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探幽訪真:深く、自由に、偏りなく潜る

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『L.L.Beanフィッシングベスト』古着の“絶妙なダサさ”が刺さる理由とは

『L.L.Beanフィッシングベスト』

ベストは以前から探していたアイテムながら、中々これだというものに出会えてこなかったアイテムの一つでした。

ダウンベスト、ジレ、ワークベスト、ニットベスト、フィッシング、ユーティリティ、種類も多分にあり、サイズ感というのも実際着てみないとわからないものが多い。

だからこそ出会いというのが重要であって、故に出会えてこなかったというのも書いていて納得できる。

そんな中出会ったのがこちら。

手に取った時はLLビーンのタグが印象的だったくらいなのですが、その質感、立体的なポケット、サイズ感等の要因が重なり、ダメージ、色落ち込みで妙に気になってしまった。

試着してみると絶妙なダサさが良い。

タグを見ると90年代から00年代とそこまで古い個体では無いものの、それでもグッドレギュラーなのは間違いない。

プライス的にも良心的で、これからのコーデの戦略としても十分過ぎる活躍が期待できそうだ。

カーキの色味も使い込む中でもう少し褪せていきそうだし、何より着た時のスタイリングがいくつか組めるのも心強い。

オープンで立襟で着る、オープンで襟を寝かせて、閉じても同様に、さらに閉じる場合に場合にボタンを閉めるかどうかで見え方が変わるところも面白い。

立体ポケットもジャングルファティーグを思わせるところもあり、インナーにはシャツ、ロンT、スウェットやニットなどを着ても良さそうだ。

フィッシングベストがここまでポケットやギミックに富んでいるというのも着てみて改めて思うところでもあり、アウトドアスタイルに寄りすぎない絶妙な仕様とサイズ感、単調になりがちな春先や秋などに活躍してくれそう。

L.L.Beanはやはり良い。タグも良き。

では。

『火の華』レビュー──花火と戦争が同一線上に重なる“二項同一”の衝撃と余韻

『火の華』


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「JOINT」の監督・小島央大と主演・山本一賢が再タッグを組み、元自衛官の想像を絶する経験とその後の宿命を、実際の報道に着想を得てオリジナルストーリーで描いたドラマ。小島監督が企画・脚本・編集・音楽を手がけ、日本伝統の花火をモチーフに、「戦う」ということや平和の在り方、人間の本質を問いかける。

2016年、PKO(国連平和維持活動)のため南スーダンに派遣された自衛官・島田東介は、現地傭兵との銃撃戦に巻き込まれる。同期で親友の古川裕司が凶弾に倒れ、島田はやむを得ず少年兵を射殺。さらに退却の混乱のなかで隊長の伊藤忠典が行方不明になるが、この前代未聞の「戦闘」は政府によって隠蔽されてしまう。2年後の新潟。悪夢に悩まされる島田は闇の武器ビジネスに加担しながら、花火工場で働き始める。親方の藤井与一や職人仲間たち、与一の娘・昭子に支えられ、心の傷を少しずつ癒していく島田だったが、そんな彼に過去の闇が迫り……。

主人公・島田を山本一賢、島田を見守る昭子を柳ゆり菜、伊藤隊長を松角洋平、花火師の親方・与一を伊武雅刀が演じた。

現実を通して見えてくる非現実さ。

自衛隊、戦争、花火、一見して繋がりの無いように見えるものが”火薬”という一点を通して浮き彫りとなり、その二面性が垣間見える。

冒頭のドキュメンタリーのような南スーダンの映像(実際はタイらしい)に始まり、緩和と緊張が相互に揺れ動く描写。日常の中にいきなりの緊張が訪れるというのは戦火においては至極当然のことのように感じられ、唐突にこのような事態に遭遇しうるというのは現在の生温い日本において、本当に恐ろしい現実も存在するということを突きつけられる。

見えていない現実、隠された現実、それにすら気付いていない怖さ。自分自身、こうしたことが裏側に潜んでいるというのは想像程度にはしていたものの、実際に映像として見せられることで、予想以上の現状に直面する。

序盤の展開から既にショッキングな映像が続くわけですが、これこそが現実と思うと妙に生々しく映る。

2016年に報じられた「自衛隊日報問題」が本作の着想元になっているようで、だからこそのリアリティ、現実が予想以上に覆い隠されているというのは昨今の様々な事柄からも想像に難くない。

テーマ設定における爆弾と花火という対比が非常に良く効いており、善と悪、光と闇、功と罪、様々な二項対立がある中、果たしてこれらは本当に二項対立なのか。

二項同一、つまり、二つは既に同一のものであって、相反するように見えるそうした事柄というのは実のところ同じ概念の中にあるのではないか。

顕著な例としての爆弾と花火。同じ火薬を使用し、見せる景色、行う結果として全く異なる姿を見せる。

南スーダンの学校におけるシーンで教師が述べていた「爆弾と花火、どちらとして使用するかは各々が選ぶことが出来る、それを忘れないでほしい」というのが当たり前でいて痛切に響くのは、あくまでも選択の判断は個々に残されているはずであるというところに起因するのであろうが、実際に正しい使い方を選択できるのかは難しいところなのかもしれない。

人が愚かな点というのがその観点に集約されている気さえしてくる。

権力、財力、武力、力の使い方を間違えばというのはファンタジーに限った話では無く、むしろ現実にこそ根差した根本的な話であり、その現実を覆い隠すのもまた人間によるエゴからやってくるという。

小異を捨てて大同につく。

大義の為に多少の犠牲は仕方が無いと感じられるが、実のところ、それは偽善的であり、結局上位の都合の良い解釈と言い分として丸め込まれているのかもしれず、「仕方が無い」と言ってしまえばそれまでで、どういった選択を選ぶにせよ、「仕方が無い」という言葉を使用しては納得の糸口など見つかるわけがない。

生きている様でいて生きた屍と化している、まさに劇中、隊長が語っていたことというのはまさにそうした現実を見たからこそ出た悲哀だったのではないだろうか。

映画として一連の流れを見ればこそ、彼らが何を考え、何に悩み、行動を起こしたのかということは忠実に理解することが出来るが、これが現実であったならば見えてくるのは目の前の起きている事実のみ。

この事実というのもあくまでも”今起きている事実”ということに即したものであって、全体から見える本当の意味での事実というわけでは無いということ。

ホントやるせないですよ。

知れば知るほど、見えれば見えるほど。

役者陣の演技も抜群で、それぞれが本当に役柄の仕事、関係性を持っているのではと思ってしまうほどの圧倒的リアリティ性を孕む。

なぜそんなにリアリティ性があるのかということへの引用を。

1. 本物の花火師が撮影に参加し、花火はすべて実写

CGではなく、プロの花火師が実際に花火を打ち上げ、
火薬の扱い・動作・手順も“本職基準”で撮影された。

2. 自衛隊シーンは元自衛官・ジャーナリストへの徹底取材

監督が従軍経験者や元自衛官に細かく取材し、
俳優の所作・装備の扱い・隊列の動きにリアルな現実味が反映されている。

3. 俳優自身が役作りを深く掘り下げている

主演の山本一賢は「島田としての日記」を書き、
監督と交換しながらキャラの内面を作り込んだため、
心の動きが“演技”ではなく“生活”として見える。

4. 火薬を使うため、現場が本当に“危険物取り扱い環境”だった

静電気対策・機材制限など本物の火薬現場と同じ緊張感の中で撮影。
その空気感が映像にそのまま出ている。

主演の島田演じる山本一堅は前作『JOINT』に引き続き、監督と二人三脚で作品制作に関わってきたようですが、その存在感、独特さというのは本当にハマり役であり、見応えがある。

Joint

Joint

  • 山本一賢
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表情や佇まい、雰囲気、彼で無ければ出せない空気感というのがヒシヒシと伝わってくるところであり、驚くほど島田になりきれている。

島田という所以も無い人物であるのに、島田らしいと感じてしまうのは演者の憑依力があればこそのところ。

真実から目を背ければ、それだけ現実からは遠ざかる。

会話におけるセンテンスが後々フックとして物語と交錯していくのも興味深く、「夢を諦めさせるのも大人」「綺麗な日本の心を取り戻せ」そうしたメッセージが遂になる形でどこかしらと絡み合う。

会話の対称性、物事の対称性、反響するようにこだまするそれらが倍音の連動性を伴って映画自身の鼓動へと転化する。

花火師の心構えというか日常、やり取りというものも普段知れぬところで、その様子というのが伝わるのも非常に興味深い。

職人仕事、地域との関係性、コミュニケーションというものが枠を広げ、選択が増えることによる弊害を感じつつ、旧来然としたコミュニティの本質を鑑みるというのもまた地域に根差した手仕事を通して見えてくる。

映像的なインパクトもあり、特に花火の音を銃声の音に変換しての華麗さと怖さの共存。やはり二項同一だということを認識させられ、別種の狂気を見出すことも出来る。

スリリングな演出や細やかな映像への気配りというのもあってか、大胆さと繊細さが混在する映像の揺れ動きも感慨深い。

島田が闇取引に携わるシーンと花火職人として関わるシーンのカットバックも同様の振り幅と葛藤が伺え、単純に島田の銃器の扱いに驚く部分も。

手際の良さというか、本当に普段から使用している人の所作。銃の無機質さと花火師の有機性、人間味。

対比と同一を柔軟に描き分ける。

ラストシーン、エンドクレジット後の花火を見た際、ふと思ったこと。

画面の構図と花火が重なり、ふと日本国旗のように見えた最中、単純に美しいと感じさせられた。

じつは日の丸の根幹はそうした端的な美しさによるものなのかもしれないと思い、現在の世界情勢、日本の進んでいる道というのもまた、個人に違えず、本分を逸れ始めているのかもしれないなどと思いつつ、なぜ人は本分から逸脱していくのか。

痺れる映像と現実を直視する姿勢。文化や伝統という古き良きものを通して見えてくるものから自身の考えを改めてみるのもまた一興かもしれませんね。

では。

時代を超える名作『メゾン・ド・ヒミコ』を語る──差別・自由・性差を越えて見えるもの

『メゾン・ド・ヒミコ』

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「ジョゼと虎と魚たち」の監督・犬童一心と脚本・渡辺あやのコンビ作第2弾。

ゲイの父親が家を出て、母は病死し、ひとりで暮らす沙織。彼女のもとに、ある日、父親の恋人である青年が訪ねてくる。青年は沙織に彼女の父親は癌で死期が近いことを告げ、父親が経営するゲイのための老人ホーム、メゾン・ド・ヒミコで働かないかと誘う。最初は借金返済のために手伝いを始めた沙織だったが……。

人気俳優オダギリジョーと柴咲コウが初共演。

ゲイというある種独特なコミュニティを媒介にし、人間の生を本質的に炙り出す。

ただのゲイものと思って観ると意外に面食らう、というのが当時の印象であって、最初に観た時はその中身の詰まった物語、人たるコミュニケーションの存在にやきもきしたのを覚えている。

舞台はゲイの老人ホーム、冒頭の詠歌極めた都会の街並みとナレーションによる人物紹介、そこからタイトルまでの流れが妙に心地良い。

ギラついた冒頭の印象と対比するように牧歌的な老人ホームのルックに変わるわけですが、オダギリジョーの美青年っぷりが半端じゃない。

メゾン・ド・ヒミコと称する老人ホームのカラーリング、雰囲気を体現したような爽やかさ。

『タイタニック』のレオナルド・ディカプリオ、とまではいかないかもしれないが、その程度には衝撃を受ける。

同時に柴咲コウの野暮ったい出で立ち、冴えない感じというのもまたよろしく、生き辛さと葛藤を抱えた人物としての演技力が光る。

そして『国宝』でもその抜群の存在感を発揮していた田中泯が本作でもさすがの演技力で、別格のカリスマ性を纏う。

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こうした役柄の難しさ、大勢の中に埋もれない個性というのは本当に稀有な存在だなと今観ても思うほど。

人となりや歩んできた人生を感じさせる機微の豊かさ。

131分と決して短い上映時間では無く、話自体も単調な老人ホームでの日常が続くという日常もの。

それなのに彼らの日常を観ているだけで、ゆったりとした、人生を噛み締めるような瞬間の喜びを共有することができる。

ゲイの方が纏う、”自由に生きられればそれだけで楽しい”という側面が遺憾なく発揮され、それが演者を通じてダイレクトに伝わってくるというのも大きなところなのでしょう。

ただし、本作の奥行を出しているのはそれだけではない現実の側面、差別や偏見、家族や職場との軋轢。負の側面を描き出しながらも自分らしく生きるということの意味や意義みたいなものを語るところにおいてこそ深みが出る。

振り子のようなもので、自由に振舞えばそれだけ軋轢が生じる。そうだとしても本作に出てくるような日々の生活を見ると、どうせ一度きりなら思うがままに生きてみたいとも思えてくる。

葛藤を抱えても瞬間の楽しさ、純粋さを謳歌したいという願望が。

話の光明として、差別や偏見といった社会的目線に対しての否応なさも表現されているわけですが、そこにネガティブさは介在しながらも偽善的な円満スタンスで無いというところに納得感があり、共感性を引き出している。

性と生、互いに違うものであり、相互に関係もしているような概念。

曖昧で傷付きやすいものだからこそ触れることを躊躇われ、それでいて強烈に欲しもする。

抗えない感情だからこそ、こんなにも悩み苦しむのかもしれないと思ってしまうような曖昧模糊さが介在する。

ファッション面に関しても今にして優れたところがあり、オダギリジョーのスタイリングが抜群過ぎる。

白シャツを基調とした着こなしが目立ち、インナーは着用しないイタリアンスタイル。

ラフな首元とヘアスタイルの相性が良く、無精ひげが殊更似合う。

メゾン・ド・ヒミコ』生きていく為の欲望、と美しきオダギリジョー | 主腐の徒然BL

淡いカラーリングの合わせも多くみられるが、いずれにせよシャツにコットンパンツorスラックスのバランスが良い。

メゾン・ド・ヒミコ : 作品情報・キャスト・あらすじ - 映画.com

徐々にラフさも見せる後半からはVネックをさらっと1枚で合わせ、この野暮ったさとクリーンさのバランスが秀逸に映る。

Books Kinokuniya: 『メゾン・ド・ヒミコ』official photo book-オダギリジョ− 柴咲コウ 田中泯 / 平間至  (9784048539029)

Tシャツもタイトなものを着用し、質の良さが際立つホワイトTのサイジングが絶妙で目を引く。

メゾンドヒミコ : 永遠のローズ

セットアップでもこの白合わせという尖ったスタイリング。それなのにオダギリジョーならば自然と映える。

ヤマダ on X

脚本には渡辺あや、音楽に細野晴臣と豪華な顔ぶれで、若き西島秀俊も相変わらずサイコパス感を醸し出す役柄として絶妙に機能する。

セリフの気付きも中々染み入るものがあり、卑弥呼が柴咲コウ演じる沙織に対して述べた「あなたには、何もしてあげられなかったね。」というのは父親として以上に人としての本心から出た言葉であると感じられ、その母に対しての「いつもお店に最高のオシャレをしてきてくれた、そういうところが可愛かった」というのも性差を超越した心情の吐露だったように見受けられる。

とにかく人としての、人間としての性差を越えたところでの感情の発露というのを感じさせられる移り変わりがあり、人間の深みのようなものを余韻として残す。

道中、沙織に対してオダギリジョーが抱いた感情、終盤で細川に対して羨ましく思ったこと、そしてラストでの沙織への心情というのはそれら全ての過程を経た人間としての純然たる感情の変遷と捉えると、差別、偏見が如何にチープであるかということを思い知らされる。

単純な問題に収束しない難しさを紐解き、純然たる感情の核心に迫る、今観ても良き作品でした。

では。

『Indera Mills 839LS』が最強。古着好きが辿り着く「究極のコスパ」サーマル

『Indera Mills 839LS Heavyweight Thermal L/S』

INDERA MILLS|インデラミルズ|839LS HEAVYWEIGHT THERMAL - WHITE|公式通販|RayCoal

肌寒い時期になると無性に欲しくなるアイテムがある。

そう、サーマルだ。

最初は古着に始まり、その後Nハリなどへも手を伸ばし、新品も少々。

結果的に古着やセレクトショップなどでのものは状態や価格が見合えば手に取るのですが、最終的に無地T同様、新品での古着良きブランドに落ち着くところが大部分を占めている現在。

そして、『ワン・バトル・アフター・アナザー』の影響もあり、一度も買ったことが無いダークカラーのサーマルが無性に気になる。

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ちなみに今一番着ていて着心地、コスパの面で気に入っているのがインデラミルズ(INDERA MILLS)の100%コットン サーマルなのですが、これがすこぶる調子良い。

モデルとしてはIndera Mills 839LS Heavyweight Thermal L/S:6.5 オンス/コットン100%。型番 “839LS” 。

身長167cm、体重57kgなのですが、Mサイズでジャスト、着丈は短すぎず長過ぎず、今の気分に丁度良い。

サーマルって古着などだとどうしても着丈が長過ぎるというところがあり、フィッティングがゆるいか、きついかというのが難航するポイント。

コットン100%なので縮むことは前提として、Mサイズがなお丁度良い。

まあコットンの場合洗っても乾かす時点で伸ばせばある程度サイズ調整も効きますし何、よりこの時期出番も多く、インナーとしての汎用性が高い。

ブラックカラーということなのですが、完全なる黒という具合でも無く、サーマルの凹凸が絶妙なくすみをもたらす。

程よいブラック味というのもあり、合わせやすさもGOOD。

サーマルの良さである着心地と汎用性の高さ、そしてこの野暮ったさをファッションに落とし込むところに美学を感じてしまう。

海外ファッションではこうしたアンバランスさ、ミリタリーの様相を取り入れる上手さは見習うところが多いですよね。

まずはダーク系のサーマルにネル素材ローブ。したい恰好こそが至高というところに主眼を置き、ファッションを楽しみたいものです。

余談ですが、ナチュラルカラーも良い感じのアイボリー具合でこれもまた良きサーマルとなっております。ブラック、ナチュラル共にオススメ。

では。

『フランケンシュタイン』レビュー|人間の傲慢、孤独、そして愛――ギレルモ・デル・トロが紡ぐ現代的寓話

『フランケンシュタイン』

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「シェイプ・オブ・ウォーター」「パンズ・ラビリンス」で知られるメキシコの鬼才ギレルモ・デル・トロが、19世紀イギリスの作家メアリー・シェリーが生み出し、後世の多くの創作物に影響を与えたゴシック小説「フランケンシュタイン」を映画化。

己の欲望に駆られたヴィクター・フランケンシュタインは、新たな生命の創造という挑戦に乗り出す。そして、その果てに誕生した「怪物」の存在が、人間とは何か、そして真のモンスターとは何かを問いかけることとなる。

フランケンシュタイン役は「スター・ウォーズ」シリーズや「DUNE デューン 砂の惑星」のオスカー・アイザック。怪物役を「プリシラ」「Saltburn」のジェイコブ・エルロディが勤める。そのほか、「X エックス」のミア・ゴス、「ジャンゴ 繋がれざる者」「イングロリアス・バスターズ」のクリストフ・ワルツ、「西部戦線異状なし」のフェリックス・カメラーらが共演。デル・トロが長年にわたり映像化を熱望してきた企画で、自ら製作・脚本も担当。撮影を「シェイプ・オブ・ウォーター」「ナイトメア・アリー」のダン・ローストセン、音楽を「シェイプ・オブ・ウォーター」のアレクサンドル・デスプラが手がけた。2025年・第82回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。Netflixで2025年11月7日から配信。それに先立つ10月24日から一部劇場で公開。

クラシック作品ががなぜクラシカルたるかの一端を見せられたような。

フランケンシュタインといえば名は知れども、具体的なストーリーは知らないという人がほとんどなのではないでしょうか。

私自身もその一人で、フランケンシュタインという名前が実は博士の名前であり、俗に言うフランケンシュタインはその博士が作り出した怪物程度にしか知らないといったところ。

ざっくりフランケンシュタインとは。

メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』は、野心的な科学者ヴィクター・フランケンシュタインが、倫理的な限界を超えて生命創造を試み、成功した瞬間にその創造物(怪物)の醜悪さに恐れをなして即座に放棄することから始まる悲劇です。

 物語の核心と教訓

この作品は、創造主に見捨てられた被造物の悲劇と、科学者の傲慢と無責任がもたらす破滅を描いています。

  • 創造主(ヴィクター)の罪: ヴィクターの最大の失敗は、創造の成功ではなく、自らの行為の結果に対する責任を放棄し、目を背けた点にあります。彼は、愛と指導を必要としていた怪物を拒絶しました。

  • 被造物(怪物)の悲劇: 怪物自身は、当初純粋な心を持っていましたが、世界からその醜い外見ゆえに徹底的に拒絶され、孤独と憎悪を募らせます。その結果、彼は創造主への復讐として、ヴィクターの愛する人々を次々と殺害する悪へと転落します。

  • 結末: 創造主と被造物は、互いを追跡し合い、最終的に極地で両者とも命を落とします。これは、無責任な創造は、必ず創造主自身を滅ぼすという冷酷な真実を示しています。

デル・トロが手掛けるのであればということもあり、鑑賞したのですが、思った以上に良作でして。

ネットフリックスでの公開もあるものの、やはりデル・トロ、映画館で観る贅沢さを存分に感じさせる画面作り。

絢爛さとグロテスクさ、容赦の無い寓話的なる世界観が惜しげもないデルトロワールドとして良く表現されている。

オープニングの氷上から始まるシーンからして、冷え冷えとした荒涼たる自然美が印象的。そこからの爆発、炎上といったダイナミックな演出、火と水といった対比構造に始まり、寓話性と現実が程よくブレンドされた世界。

「あぁ、映画だな」と純粋に思える世界への誘いにスッと導かれる。

時系列を組み替えた構成というのも良く効いていて、パート分けされた章立ても絵本のような感覚を受ける。

この辺の寓話ならざるお話の展開はデル・トロの十八番であり、神秘的な森に迷い込むような錯覚が心地良い。

その後、フランケンシュタイン博士がなぜこうした人物像になり、怪物を産み出したのかというパートとなり、博士、怪物とそれぞれの視点から語られていく。

物語の骨格が普遍であるため、今観ても、古びない。何なら現代であればAiやロボットの勃興、それによる負の側面から見ることも出来るかもしれない。

ちなみにフランケンシュタインがどういうテーマ性を内包しているかというと。

「人間の傲慢」=命を操ろうとする科学の危うさ

「創造主と被造物の関係」=親と子、神と人間のような構図

「孤独と拒絶」=愛されない存在の苦しみ

という、非常に人間的なドラマが核にあります。

医療や技術革新などで、人間が扱える事柄が増え、コントロール下におけることが増えていく中、どこまでそうした行為が行われていいものなのか。

難しいテーマながら、デル・トロの独特の感性と手腕により見事に現代的寓話としての表現になっているのではないでしょうか。舞台はあくまでも19世紀の装いですが。

そしてオスカー・アイザック演じるヴィクター・フランケンシュタイン博士、この人間性の表現が素晴らしく、本当に何とも言えない悪さを秘めている。絶対的な悪では無いという絶妙な表現もあり、愛憎入り混じる感情表現を見事に演じている。

怪物を演じたジェイコブ・エロルディもどちらとも見られるような琴線の細さ、揺蕩うような視線や表情などが印象深く厚みを出していて繊細さが非常に良い。

個人的に驚いたのがミア・ゴス演じるエリザベスですね。

まず登場した瞬間、美しさに震え、醸し出すオーラが純然たる高貴さを身に纏っていることに驚く。

ライティングによる効果も多分にあるのでしょうが、それにしても存在感が抜群。Netflix映画「フランケンシュタイン」より、ミア・ゴス演じるエリザベス - ギレルモ・デル・トロが「フランケンシュタイン」引っさげ7年ぶりに来日  [画像・動画ギャラリー 4/13] - 映画ナタリー

そして、役柄としての立ち位置、天真爛漫さと堅実さ、人に流されない確固たる信念を持っているような、強さが同居する立ち居振る舞い。

個人的に死の際における怪物との会話が非常に印象的で、「私は世界に居場所が無かった」というようなセリフにはエリザベスの世界を肯定しつつ、悪の根源が人であり、その心持でありというところに辟易していた様子が現れている。

だからこそ昆虫などの小さな生物、思考や意思が無くとも、本能的に安泰やまやかしの無い純粋性に引かれていたのかなと思うとその行動原理も頷ける。同様に怪物に対してもそのような振る舞いをしていたのがフィードバックされるという。

さらに愛についての語りが一番痺れた。

「断続的で瞬間的なもの、だけれどもそれを継続し、維持することこそが愛」というような発言には自分には無い、ある種の斜め上をいく発想の転換があり、鑑賞後にも余韻として響く重さがあり。

それにしてもデル・トロは映像を耽美的で余韻のある、膨らみをもった表現がピカイチですね。

映像というものを一つの枠組みに入れた時の空間の膨張と縮小、呼吸するように自然と膨らみ自然と萎む。

暖色のライティング、温かなカメラワークと寒色のそれらが見事に調和し、圧倒的ファンタジックな手触りを伴わせる。

ヴィクターとエリザベスが楽しそうにしていた時期のシーンは温かで、それこそ晴れやかなPOPさを纏った、歓喜に満ちた華々しさがそこにはあり、城での薄暗い地下などでは冷え冷えとした空気が満ち、感情を遮断するような張り詰めた理が存在する。

面白かったのがその城の地下から怪物が葉っぱを流すシーンにおいて、流れる先の外の世界へと通じる穴には温かで神秘的な光が入り込んでおり、この対比だけでも映像的にそこまでの橋渡しを可能にするのかと思ったほど。

温度感によるカラーリングの演出もデル・トロならではですし、映像耽美に富んだ物語、普遍的なる核心の問も相まり、一時でも現実からファンタジーの世界へ入れるというのは良いものだなと。

性善説、性悪説、どちらが正しいということでは無いという前置きをしたうえで、終盤での怪物とヴィクターとのやり取りを見ている最中、”悪は最初から存在しないのでは”ということをふと思う。

狼が羊を憎んでいないように、人も狼を憎んでいない、生きるために行為として暴力が介在するのであるだけで、それが目的では無い。

ヴィクターも唯一の心の拠り所だった母親が死に、高圧的だった父への当てつけとして、その父が到達できなかった死の克服という領域に足を踏み入れた。

結果、産み出した怪物(自分の子)に対し、父と同じような態度で接し、その善意から生まれた悪によって世界が構築されてしまう。

人の矛盾と、世界の共存という非常に普遍的な着地が見事な表現を持ってして映像化された世界。

画的なルックも美しく、優れた寓話性を表現しているので149分と少々長めではありますが、どっぷり世界に浸って観るには良い作品ではないでしょうか。

フランケンシュタインというモチーフ自体に過去作がいくつもあるのでそちらもタイミングをみて鑑賞したいところです。

では。

『リーバイス70505』アメリカ製とは違う“香港製”が放つ清潔なフェード感

『リーバイス Gジャン 70505』

絶妙な色感と生地厚、良き個体に出会えたので。

最近デニムモチベーションが何故か高まってきており、トップスもショート丈が好み。

そんな折にこのGジャンを発見し、これも何かの縁だしということで購入。

70505は以前から欲しかったのですが、これだという個体に出会わなかったのと、色味やサイズ感、何より価格帯のバランスが中々合わずで。

昨年購入したGジャン(これも挙げねば)は色味に惚れて購入したのですが、これはまた全然異なる色味と質感。

通常のアメリカ製であれば生地は厚めで、色落ちももっとハードなものが多く、ザ・アメリカというような差の激しい色落ちが魅力。

一方でこれはある意味でレアな香港製なんですよね。

ざっくり言って水色という感じの色味で、生地厚も薄め、色落ちのフェードも緩い。

細かな違いで言うとこんな感じですかね。

◆香港製70505-02(1997年製)

 生地

  • 香港製の多くは日本向けにリーバイ・ストラウス ジャパンが企画

  • 糸のムラ(ネップ)が少ない均一なライトオンスデニム(約12〜13oz)

  • 柔らかく、最初から着やすい。

  • 色味はやや明るめのロイヤルブルー寄り。

 縫製

  • 縫いは丁寧で、ステッチも細い。

  • 機械精度は高いが、アメリカ製のような「荒さ・武骨さ」は少ない。

 シルエット

  • アームが細く、身丈もやや長め。

  • モダンでシャープ。

  • 現代の服にも合わせやすいライン。

 色落ち

  • 均一でなめらか。縦落ちより「全面フェード」型。

  • 爽やかなブルーに落ち着く。

  • 「味」より「清潔感」が出る。


◆アメリカ製70505(例:70505-0217、60〜80年代)

 生地

  • コーンミルズ社などの旧織機によるムラ糸デニム(約14〜15oz)

  • 硬くゴワつき、最初は動きづらいが、着こむと表情が出る。

  • 色味は深いインディゴネイビー。

 縫製

  • ステッチが太く荒いが、それが味。

  • 微妙な歪みやねじれが個体差として魅力。

 シルエット

  • ややボックス型で、着丈短め。

  • 肩幅広く、武骨でクラシックな印象。

 色落ち

  • 「縦落ち」「ヒゲ」「ハチノス」が明確に出る。

  • 迫力があり、ヴィンテージらしいグラデーション。

  • 一点もの感が強い。

サイズ感もそこまで現代的なシルエットとはなっておらず、やや無骨さが残るような感覚があり、身幅が非常に自分と合った。

デニムというと色落ちの出が顕著で、濃淡のグラデーションがハッキリしたものが好まれるイメージですが、こうした水色で薄っすらと出てくるグラデーションが意外に好きなんですよね。

これに敢えてのベージュやライトブラウンといった明るめのボトムスを合わせてニュアンスで落とし込むというか。

メリハリで際立たせるというよりは緩慢なトーンで落とし込むというか。

冬場になってくると濃い目のアウターなんかと合わせても薄めのライトカラーが映えますし、それはそれで好きだったりもするわけでして。

いずれにせよデニムは色落ち、サイズ、一期一会。

価格が見合うのであればゲットしておくべきなのは間違いないでしょう。

では。

『アーセナルvsサンダーランド』──全得点ゴラッソ、プレミアの狂気を見た夜

『アーセナルvsサンダーランド』Arsenal player ratings vs Sunderland as Leandro Trossard among four 8/10s  despite draw | Football London

15さすがライス、エグいの蹴るな
24エゼのアグレッシブなプレスは単純にアツい
50エゼうまっ

51スビ良いワンタッチや
53自由にしたら終わり、サカ逆足でも最高
57この侵入増えてきてるな
60ようあれで振れるわ、エゼ
70スビの判断
73カラフィのランに揺動されさすがのトロ
84ラヤ早い

恐るべきサンダーランド、そしてスタジアム・オブ・ライト。

試合前のスタジアムの雰囲気からして嫌な予感は漂っていましたが、ここまでとは。

まずはスタメンからいきましょう。

予想通りではある5-4のブロック形成。アルテタ的には完全にブロック形成で引いてくるのは予想外だったのでしょうか。

前半はかなり苦しんでましたからね。攻め上がりに際して。

とはいえ何よりサンダーランドの強度が高過ぎるのとワンプレーの雑さが無い。

司令塔のジャカを中心に全体のコントロールと個々の技術も冴え渡る。バラードのエグさも加わり、元アーセナルの脅威しか無い圧倒的プレッシャー。

一方のアーセナルも全然悪くなく(前半は少々後手後手でしたが)、特に後半からはハーフタイムで熱と戦術が入ったのか、スイッチが切り替わったようなブースト状態へ。

ちなみに前半はこれ。

これだけ見ると全然悪くない。なのに押し切れない。

そして後半。

ポゼッションは落ちているものの、後半の方が完全に優勢。

ゴールは正直2本とも完璧でした。

同点弾のサカ、これぞライスな必要なアプローチからタメのメリーノ。

あのコース狙えるのほんと彼でこそですよ。

気持ちの良いオープンプレーからのやつ。

2点めのサーモンも同様。

自身でのタメからカラフィオーリの抜群のタイミングによるラン。

粘ったサディキが一瞬カラフィオーリに気が取られたところを見逃さない完璧な弾道と威力。

これぞサーモンなシュート上手男ぶりを発揮。

ちなみにサンダーランドの2ゴールも全てゴラッソですからね。

文字通り全得点ゴラッソ祭り。

アタックモーメントにしろシュート数にしろ、スタッツで見るとこういう感じなのですが、このような試合はこの通りでも無い。とにかく縦への意識、推進力が半端じゃなく、足元のスキルも大したものですよ。

本気でサンダーランドヤバかったんで。

そしてこの白熱こそ求めていたサッカーへの熱量。

おもろい。

個々の選手で言うとまず守備、鉄壁CB二人の一列前を見事にフィルタリングていた

ライスとスビ、彼らがいたことで守から攻への切り替えがスムーズかつアグレッシブに行えたのは非常に大きい。

二人の連携と孤軍での奮闘っぷりが無双しており、攻守どちらでもどちらも凄い。

マジで頼れる奴らはこういう試合こそ頼れねばならぬ。

ジャカを見れば尚の事。

メリーノもボックス内への進入やポジションの取り方は元祖CF候補。フィジカルも強いので尚良し。

エゼの前線へのプレスといつも以上のバイタリティは10番への自覚からなのか。こういうプレーがもっと見たい。

久々に鉄壁と判断の良さを見せた切れ味の鬼ラヤ。

相手GKもですが、この試合でのラヤの好判断と活躍は目を見張るものがありましたね。連続無得点ゆえ、披露の場が減っておりましたが、それでこそラヤ。本領発揮有難うございます。

ということで全員良かったのにドローゲーム。

ジャカを中心としたサンダーランドの圧力が人知を超えたということでしょう。

実際現状の順位を鑑みれば妥当なところでしょう。

それにしてもリヴァプールが下降しており・・・と思っていたところに伏兵が出現するというこの毎季お決まりの構造が引き起こされる。

これがプレミア魔のリーグ。

まずは負けずにドローで良かった。

でも勝ちたかった。

では。